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続・拝啓天皇陛下様

1964年、松竹大船、棟田博原作、多賀祥介+山田洋次脚色、野村芳太郎脚色+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

中国、北陵郊外、長幸店…

日本軍兵舎に、消灯ラッパが鳴り響く。

「兵隊さんは可哀想だね〜♬ 夜寝て泣くのかね〜♬」

タイトル

拝啓天皇陛下様

又、あなたの赤子(せきし)の話です。

渋川隊第8041部隊からこの軍犬部隊に配属されて来た山口善助(渥美清)二等兵は、着任の挨拶を加仁班長(藤山寛美)にしていたが、しどろもどろな言い方をどやされるのだった。

しかし、根は善人の加仁班長は、こんな所に送り込まれるのはカスに決まっているがと言いながらも、軍犬兵である間だけは星3つやると、善助に新しい階級章を手渡すのだった。

善助は、6年間軍隊生活を送っても二等兵のままであるため「モサクレ」と呼ばれていた。

善助は岡山県下津井の出身だったが、子供の頃、学校の校長(渡辺篤)らに引率され、天皇陛下様とお会いできると言うので、港に連れて来られる。

そこには、村の老人たちも集まり、3時間ずっと全員で海の方を見つめていたが、遥か遠くを通る天皇陛下が乗っておられると言う船の煙が三つ見えただけだった。

昭和4年

善助の家族は拾った魚を食べ、全員当たって死亡。

いたずらをして、飯抜きの罰を受けていた善助だけが助かったが、親戚の家に預けられる事になる。

昭和8年12月

菓子屋の店先から、菓子を万引きしようとしていた所を店員に捕まった善助だが、店主(花沢徳衛)から、今日は、天皇陛下様に男の赤さんがお生まれになった日だからと、特別に握り飯を恵んでもらったので、ますます天皇陛下を好きになる。

昭和11年

善助は、学校にも行かず荷車引きをしていたが、ある日、小学校に赴任して来た女子先生(岩下志麻)から声をかけられ、特別に彼女の家で文字を教えてもらえる事になる。

いつしか、善助は、この優しく美しい女子先生の事が好きになり、一人でいる時も、会いたくて涙ぐんでしまうくらいだった。

しかし、摘んだ花を握りしめ、女子先生を待っていた善助が、通りかかった女子先生を観て駆け寄り、思わず抱きつくと、驚いた女子先生は逃げるし、善助は近くにいた大人たちに捕まり、強姦未遂罪で岡山少年刑務所に1年入れられてしまう。

出所した善助にもはや職などなく、通称「うんこ屋」汚穢屋(便所の汲み取りをする人)をやるしかなかった。

昭和14年

そんな善助も、地元の第10連隊に入る事になる。

貧乏のどん底生活しか知らなかった善助にとっては、毎日、3食の飯にありつける軍隊はまさに天国だった。

しかし、2年で満期となり除隊した後は、又元の「うんこ屋」に戻るしかなかった。

そんな善助は、赤紙が来たので、中国人夫婦がやっている床屋に来ると、坊主にしてくれと頼む。

中国との戦争が始まった今、中国人の店に来る日本人客は一人もいなかっただけに、王万林(小沢昭一)と美理(南田洋子)は大感激し、王は、善助とはポンユウ(友達)だと感謝して、ただで頭を刈ってやるのだった。

再び、軍犬学校…

キャストロール

善助は軍犬学校に来て初めて外出を許されたが、中国人の飲み屋で泥酔し、主人(上田吉二郎)とけんかをしてしまったため、捕まって重営倉送りとなる。

そんな善助の所に翌朝やって来た加仁班長は、窓の外を見てみろと言い、夕べ、金網を食いちぎった善助の担当犬、シェパードの友春が、夜中の2時からずっと、お前の事を心配して重営巣の外で待っていたのだと教える。

それを聞いた善助は感激すると共に、自分の愚かな行動を反省し、外に出ると、「すまなかった。お前とは死ぬときも一緒だ」と言いながら、友春を涙ながらに抱きしめるのだった。

そんな善助は友春を連れ、元の部隊に戻る日がやって来る。

トラックに乗り込む前、加仁班長に挨拶をした善助は、友春は民間から献納された犬であると教えられ、元の持ち主の住所と名前を書いた紙を加仁班長から手渡される。

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善助が所属していた第8041部隊も、南方転属派として抜けて行ったものが多く、隊長も新しい人物に代わっていた。

この新隊長秋永(穂積隆信)は評判が悪く、みんなから「シャケ」と呼ばれていた。

その夜、善助の送迎会が行われるが、外につないでいた友春の声が聞こえた善助が、外に出てみると、見知らぬ若者が勝手に友春に肉を食べさせようとしていた。

善助は、軍犬の食事は、手付けもんが手づからやるもんだと叱りつけるが、若者が、隊長用の肉を食べさせてやろうと思って…と優しいことを言うので、心を許して、友春に食べさせるのを許してやる。

礼を言って帰る若者は、片足が悪いようだった。

仲間たちが言うには、高見一等兵(勝呂誉)と言う京都の大学に行っていた学生だが、学徒動員でこちらに来たが、片足が悪いので将校にはなれないらしい。

翌朝、川で洗濯をしていた高見の所にやって来た善助は、京都に住む友春の飼い主宛に、手紙を書いてくれと頼む。

その時、秋永隊長がやって来て、ふんどし姿でズボンを洗濯していた兵隊たちを、現地人の前でそんな格好をするなと怒鳴りつける。

そんな秋永隊長が一人ドラム缶風呂に入っていた隙を狙い、善助は友春を使って、服を盗み出させ、溜飲を下げるのだった。

ある日、高見に代筆してもらった京都の久留宮ヤエノから、返事と慰問袋が届いたので、高見に手紙を読んでもらった善助は、慰問袋に入っていた羊羹を一本、高見に手渡してやる。

昭和20年元旦

渋川中隊長(浜村純)は、皇居遥拝をする。

その後、又しても、部隊内から5名南方へ転属されるが、そのものたちは輸送船と共に撃沈されたと言う。

戦況はますます末期症状で、部隊に新しく送り込まれて来たのは17歳の少年兵たちで、彼らは3人に一丁しか銃を持っていなかった。

善助に、又、ヤエノから慰問袋が届き、その中に、送り主の写真が入っていたので、一緒に観た高見は、自分の恋人に似ていると言い出し、善助も、女子先生に似ていると答える。

8月

八路軍の捕虜になった日本兵からの呼びかけがあった。

アメリカ軍は既に沖縄に上陸しており、もう日本には、住む所も食うものも残っていないと言うのだ。

それを聞いていた善助は、「嘘付け!」と怒鳴り返すが、八路軍たちが習い覚えたと言う日本の歌「桜」も聞こえて来る。

翌日、将校斥候が出る事になり、高見が友春を連れて出かけてゆくが、帰って来たのは友春だけだった。

秋永少尉以下8名が戦死であった。

その後、善助は、高見の死体を見つける。

その頃、日本の神戸港では、中国人や朝鮮人たちが、クーリー同様にこき使われていた。

そんな彼らは、空襲が起きると、近くの防空壕に避難しながらも、全部燃えろ!と愉快がるのだった。

そんな中に、あの王万林も混ざっていた。

やがて、広島に原爆が落ち、日本は終戦を迎える。

その頃、中国では、渋川中隊長が天皇陛下のお言葉を読み上げていたが、聞いていた善助にはチンプンカンプンだったので、夕食時、仲間たちに意味を聞くと、日本が負けたのだと言う。

しかし、天皇陛下さまを信じている善助には、そんな言葉は納得できなかった。

仲間たちがなだめようとする中、表に飛び出した善助は、東の方向に向かい、自分は天皇陛下さまのために戦争に来たんじゃ。吉田も高見もみんな万歳言って死んだんじゃ…。今になって、それじゃあ、殺生じゃ…と嘆くのだった。

部隊は全員引き上げる事になり、善助は、もはや食料を与えられず、歩けなくなった友春を背負って退却せざるを得なくなる。

そんな友春の為に、善助は途中、自分たちの食事用の牛缶を、仲間たちに頼んで分けてもらうのだった。

やがて、南口鎮に到着した時、善助を呼び出した渋川中隊長は、軍犬はこの地で放せ。北京に着いたら軍犬たちがどうなるか考えてみろと促す。

それを聞いた善助は、中隊長から拳銃を借り受ける。

「それもええかもしれん」と、善助の考えを汲み取った渋川中隊長は銃を貸し、それを持った善助が、友春を連れ、寺の陰に入ってゆく。

その直後、銃声が鳴り響いたので、仲間たちは全員緊張するが、友春は何事もなかったかのように賭け戻って来る。

やはり善助は、殺せなかったのだ。

しかし、それ以上、友春を連れて行く事は出来ず、善助は友春に、その場で待てと命じると、部隊の仲間たちと共に退却の旅を続ける。

善助は、いつまでも聞こえて来る友春の鳴き声に涙しながら、「友春は天皇陛下様の軍犬じゃ。そんな弱虫と違うわい!」と自らに言い聞かせるのだった。

昭和21年

天皇陛下は人間宣言をなさる。

5月メーデー、米よこせデモ、極東裁判…

復員兵が相次ぎ、彼らはまずDDTの歓迎を受ける。

日本に戻って来た善助は、ヤエノが住む京都の南禅寺へ向かう。

その久留宮ヤエノ(久我美子)にも、厳しい現実が待っていた。

満州に行った亭主は行方不明となり、家屋敷は財産税で差し押さえられ、立ち退きを命じられていたのだった。

ある日、外出していたヤエノが帰宅すると、畳に土足の足跡が点々とついているので驚き、おそるおそる部屋の中に入ってみると、見知らぬ復員兵姿の男が座敷で寝ていた。

そんなヤエノの気配を感じたのか、起き上がった男は、自分は友春を預かっていた山口善助だと丁寧に自己紹介したので、泥棒かと身構えていたヤエノは一安心して、友春の安否を尋ねる。

善助は、立派な手柄を立てて死にましたと嘘を教えるが、それを聞いたヤエノは失神してしまう。

その後、気がついたヤエノは、昨日から何も食べてなかったもので…と、恥ずかしそうに言い訳をしたので、善助は、持っていた米を飯ごうで炊いて、ヤエノに食べさせてやる。

ヤエノは、涙をこぼしながら、炊きたてのご飯を頬張るのだった。

そんなヤエノの様子を見た善助は、又来る事を約束し、ヤエノを勇気づけて帰るのだった。

その夜、大阪の地下道で寝た善助は、女子先生の夢を見ていたが、周囲に隠れていた浮浪者たちから、持っていた荷物を残らず盗られてしまう。

又、無一文になった善助は、ぶっ壊し屋(田中邦衛)の手伝いをする事になる。

闇市に無断で建てた三国人の店を潰すのだと言う。

その店とは、王万林が始めた飲食店だったが、客(西村晃)から雑炊の中にタバコの吸い殻が入っていたと文句を言われたので追い出してる所だった。

ぶっ壊し屋と共に、いきなりやって来て店を壊し始めた善助は、店主の頭を間違って殴った時、初めて、相手が王である事に気づくのだった。

その夜、再会を喜び合った王は、今度、隣に中華料理店を始めるのだと自慢げに話す。

神戸で、中国人たちが集まったのだと言う。

しかし、その話を聞いていた善助は、かつての女房美理(メイラン)の代わりに見知らぬ女が店を仕切っているのを観ながら、おまん、少し変わったようじゃの?と不思議がる。

だが、王は、店の奥からバリカンが入った箱を持って来て見せると、善さん、日本で私の一人だけのポンユウよと笑って答えるのだった。

美理とは、その後、同じ闇市でばったり出くわす。

美理の方も、進駐軍物資の闇屋をやっているらしかった。

今は、王万の所で厄介になっていると善助が教えると、あいつ、日本人の妾持って、いい気になっているから、あの女に化粧品売りつけているのだと美理は忌々しそうに話す。

ヤエノは、その後、古い織屋の二階に引っ越していた。

その家を訪ね当てて再度やって来た善助は、土産として芋などを差し出しながら、戦争中にあなたからいただいた手紙に、「あらあらかしこ」などと書いてもらったのがうれしくて…と照れながら、自分は今、かつぎ屋をやっており、大阪城に住んでいるなどと教える。

その大阪城近くのバラック集落に戻って来た善助は、近くに住む、少し頭が足りない恵子(宮城まり子)に芋を分けてやる。

恵子は、親戚の爺ちゃんと二人で暮らしていたが、いつも軍歌ばかりを歌っていた。

恵子は、お礼のつもりか、拾った子犬を善助にくれたので、さっそく共春と名付け飼う事にしたが、翌朝、小屋から出てみると、その友春がおらず、後には「ごちそうさま」と書かれた紙が置いてあるのを発見し、善助は驚くどころか嘆き悲しむのだった。

ある日、天皇陛下が大阪を行幸されると言うので、善助は恵子と一緒に見物に出かける。

しかし、背の低い恵子をおぶってやった善助は、あまりの群衆の多さに何も観る事が出来なかった。

恵子が、米兵数名に乱暴されたのはその後の事だった。

その時以来、恵子の姿は消えた。

善助の京都通いはその後も続いた。

ヤエノは、織屋の手伝いで、川で染め上がった反物を洗う仕事を手伝っていたが、それを観た善助は、慌てて川の中に入って来ると、奥さんがこんな事をしちゃいけんと止めさせるのだった。

善助は、ヤエノの暮らしを何でも手伝ってやった。

肥汲みもやったし、一緒に買い出しにも出かけた。

しかし、駅で待ち伏せていた警官に追いかけられ、持っていた荷物は全部置いて行くしかなかったが。

ヤエノは、久々に会った善助に、最初に会った時、ご飯をごちそうしてもらった時泣いたけど、あれはうれし涙ではなく、本当に、善助に何をされるか分からなくて怖かったのだと冗談まじりに告白する。

しかし、それを聞いた善助は、わしゃあ、そげな男じゃありませんわ!と憤慨するのだった。

思えば、この頃が、善助にとって一番楽しい時代だった。

闇市でアメリカ製石けんを持っていた善助はMPに捕まり、一緒に同行していた通訳(ミッキー安川)から、日本人はアメリカの品物を持てないと言われ、お前も日本人じゃないのかと言い返すうちに、結局、その場にいたGIたちを交えた喧嘩になったので、逮捕され、沖縄に飛ばされる事になる。

留置場に会いに来た王に、善助は、俺がいない間、京都の奥さんの事を頼むと頭を下げる。

昭和25年

朝鮮戦争が勃発する。

3年ぶりに日本に戻って来た善助を出迎えたのは、王とヤエノだった。

感激した善助だったが、そのヤエノの口から、実はうれしい事があり、主人が生きていたのだ。今は、シベリアのクアラヤンダの病院に入院しているらしいと聞かされると、一瞬に表情が変わる。

ヤエノとの付き合いが終わりそうだと言う予感が走ったからだ。

とりあえず、王の店に又厄介になる事になった善助だったが、王は、隣にパチンコ屋を始めたんで手伝わないかと言う。

しかし、善助は、何もする気がないと憔悴しきっていたので、それを観た王は、奥さんに惚れたなと図星を指し、それが又、善助を怒らせるのだった。

日本人を妾に持つような奴とはつきあえないと怒鳴った善助は、店を飛び出してゆく。

その頃の日本は、戦争特需で景気が良く、町にはバタ屋が増えていたので、そうしたバタ屋が集まる集落が出来ていた。

そこに住むようになった善助だったが、その後も、京都通いは続け、やりなれぬ茶の湯の席などに招待され、まごつくのだった。

ある日、一人飲み屋で酒を飲んでいた善助は、今日朝鮮に出発するので、日本の金はいらないからみんなにおごると言う酔った黒人米兵ジョー(ロベルト・バルボン)に出会う。

そんな米兵に同情した善助は、店を出た後も肩を組んで送って行くが、その途中、パンパンになっていた恵子から声をかけられる。

その日から、善助と恵子の共同生活が始まる。

昭和26年1月

ヤエノの夫、良介(佐田啓二)が帰国し、その祝いの席に、王と共に善助も招待される。

ヤエノから、常々面倒を見てもらったと聞いていた良介は、善助に感謝の握手を求めて来るが、その夜、王を連れて恵子の元に返って来た善助は、今から、お前と結婚式をやると言いだす。

酔った王も、自分が仲人をやると言いだし、恵子は驚きながらも感激して、口紅を塗り始めるのだった。

やがて、マッカッサーが帰国し、日本の特需の反動が始まった。

パチンコや競輪が流行り、善助も、そうしたギャンブルにのめり込んでいた。

ズボンを売り、下着姿で帰って来た善助は、裏の川でザリガニを釣っている恵子の姿を見る。

ザリガニは夕食だった。

服を売ったと言う善助を観ながら、恵子も服を売ったので、もう金がないと告白する。

恵子は、かつてのパンパン仲間あけみ(春川ますみ)から時々金をもらっていたが、あけみは、又、元の仕事に戻れと勧める。

しかし、恵子は、おっちゃん(善助の事)に怒られると言うだけだった。

その頃、王万林に大事件が起こる。

二号の情夫に金を盗まれ、腹をナイフで刺されて入院したのだった。

見舞いに来た美理と善助は、もう助からないだろうと悲しんでいたが、やって来た看護婦が言うには、2週間くらいで退院できる程度のきずだったらしい。

美理は、この人は、女にだまされて、買った株も全部ダメになったのだと善助に打ち明ける。

その夜、美理から洋酒をもらって帰る途中だった善助は、たき火の周りに座り込んでいたパンパンたちの中に、恵子の姿を発見し、いきなり殴りつける。

恵子は、あけみのジョージから、今まで借りていた金を返せと言われたので仕方なく…、でもまだ、何もやっていないと必死に言い訳するが、善助の怒りは収まらず、一緒に暮らしていた小屋から出てゆけとたたき出す。

翌朝、恵子の姿は消えていたが、その恵子が身ごもっていた事は、善助も恵子自身も気づいていなかった。

そんな善助の小屋に、ある雨の日、突然、ヤエノが訪ねて来る。

新聞で王の事件を知り、見舞いに行くと、あなたが結婚した事を聞いたので…と言うヤエノは、又、犬を飼い、友春と名付けたので、一度家に来てください。主人もゆっくりお話がしたいと言っていますからと告げるが、善助は、これから、わしがしたい事は、もう何ものうなりました…と、寂しげに答えるだけだった。

王が退院した時、もう、彼の店は壊されてしまっていた。

何もかも失った王は、善助と共同生活を始める。

ある日、久しぶりに善助の髪を刈る事にした王は、自分はサイゴンに行く事にした。日本の華僑の仲間をなくしたので、サイゴンでもう一度やり直したいのだと言う。

それを聞いた善助は美理はどうするつもりかと怒るが、その美理が自分の店を売って、一緒にやり直そうと言ってくれたのだと聞くと、納得するしかなかった。

数日後、王と美理は、船で旅立って行った。

それを見送った善助は、帰る途中で犬を拾うが、そんな善助にいきなり警察から呼び出しがあった。

警察に行くと、恵子が妊娠9ヶ月の身重で売春客引きをやっていたので、今保護して来た所だと言う。

妊娠期間から考え、お前の子に間違いないと教えた老刑事(加藤嘉)は、驚いて聞きいる善助に、しっかりせえ!と喝を入れる。

その時、別室にいた恵子が産気づいたらしく、救急車で運ばれたので、善助はその後を追って走ってゆく。

産婦人科の病室で、ようやく再会した恵子は、誰に聞いても、生んだらあかんと言われたと一人で悩んでいた事を善助に打ち明ける。

その後、廊下で、出産を待つ事になる善助だったが、うろうろしていると、一緒に来てくれた老刑事が、出産で大騒ぎするのは最初だけで、自分の所など5回目の出産では、眠っている間に生まれたなどと話して聞かせ、善助を落ち着かせる。

老刑事が一旦警察に帰った頃、病室内では、恵子が陣痛に苦しんでいた。

やがて、恵子は女の子を出産する。

善助は、わしに似て器量よしじゃと恵子に教えるが、産後の恵子の高熱は下がらず、女医(高橋)は、無理しすぎたあの身体では、今後どうなるか分からないと善助にこっそり伝える。

恵子は、敗血症を引き起こしてしまう。

「うちな、おっちゃんにおぶされて、天皇陛下を観に行った…」と、恵子は女医に話しかける。

恵子は、米兵に襲われた日の事も思い出して行た。

いつしか、恵子は、涙ながらに、弱々しい声で軍歌を口ずさみ始めていた。

それを観ていた善助はたまらなくなり、病室を飛び出す。

「恵子、死なんでくれ!わしゃ、一生懸命頑張るけん!かわいがってやるけん!死んだらいかんのじゃ!神様、仏様、天皇陛下様!恵子を助けてやってくらせえや!」と、廊下の隅の柱に向かって訴える善助。

しかし、軍歌を歌いながら、恵子は死んだ。

善助は、生まれたばかりの赤ん坊を背負って、一人帰路につくのだった。

拝啓天皇陛下様

このような赤子がおりました。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼


「拝啓天皇陛下様」の続編で、前作と同じような構成なのだが、基本的には独立した話になっている。


無学で乱暴者、世間に順応して行く事ができない主人公の生きざまを通して、社会的な問題点や人間の哀しさを浮き彫りにして行く良質の物語となっている。

「拝啓天皇陛下様」も名作であったが、本作も又、前作に勝るとも劣らない名品になっている。

軍隊生活にしか活路を見い出す事ができない主人公の姿は、テキ屋稼業しかできない、後の「男はつらいよ」シリーズの寅次郎そのままである。

彼は、表面的ながさつさ、だらしなさのため、周囲から誤解され、毛嫌いされてはいるが、本質的には、素直で優しい心根を持つ純粋な男である。

しかし、生来の不器用さのため、真っ当な生活を送る事ができず、どん底の生活から抜け出す事ができない。

それは、恋愛面においても同じで、善助の方から一方的な憧れを持つ相手が現れても、それが成就する事はない。

寅次郎とマドンナの関係の原点が、すでにこの時点で完成しているのである。

本作では、子供時代に出会った女先生(岩下志麻)、久留宮ヤエノ、恵子という三人の女性と善助の関わり合いが描かれるのだが、どれも哀しい結末になっている。

戦前、戦中は差別迫害されながら、戦後は一転、闇商売からパチンコ業へと商売を拡大させ、日本の中でたくましく生きる中国人、王万林(小沢昭一)の姿も興味深い。

彼は、善助の無二の親友であると同時に、日本という国を客観的な視点から見つめる第三者でもある。
しかし、そんな、王の人生も又、順風満帆とは行かない所が皮肉である。

王万林の妻、メイランとして南田洋子、戦地で善助と意気投合する後輩兵として勝呂誉、他にも、加藤嘉、田中邦衛、春川ますみ、ミッキー安川、阪急ブレーブスの選手だったロベルト・バルボンなどが顔を見せるが、何といっても本作で語るべきは、宮城まり子の存在感であろう。

彼女一人のはかない人生を通して、戦後日本の繁栄の裏に潜む、空しさ、醜さ、哀しさが強烈に伝わって来る。


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