TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

酔いどれ博士

1966年、大映、新藤兼人脚本、三隅研次監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

ヤクザと喧嘩する一人の男。
相手を気絶させてしまってから「又、やっちまった…」と呟く。
彼の落とした鞄の中には、医者の治療器具が…。

所変わって、港の近くのドヤ街。
兄貴分に拳銃で撃たれたチンピラ青年がかつぎこまれて来る。
しかし、この町に医者はいない。

そんな時、簡易ベッドから起き出してきた男が見よう見まねで、治療を始める。
何でも、昔、野戦病院で見覚えただけだというが、その腕は確かだった。

さっそく、ちんどん屋をやっている委員長(殿山泰司)を中心にドヤ街の連中は勝手に相談をまとめ、彼を街専属の医者になってもらおうと頼み込み、あっという間に急ごしらえの診療所まで立ててしまう。

医療器具も薬類も、街の連中がどこかからか手に入れて来るし、空手ができるという東北弁丸出しの看護婦、野原花子(小林哲子)や、手伝いのおばさん、お松(ミヤコ蝶々)まで名乗り出る始末。

最初は無免許だからと固辞していたその男、大松伝二郎、通称ギョロ松(勝新太郎)だったが、あまりの廻りからの説得に根負けしたのか、とうとう、診療所を開業する事に…。

ドヤ街の管轄である「元帥」と呼ばれている老警官(東野英治郎)は、その新しい医者の身分を怪しみだすが、ある日、麻薬王のアジトを知らせる謎の電話が彼の元にかかってきた事がきっかけとなり、手柄を立てた彼は、その声の主を診療所の医者と見当を付け、少しづつ、ギョロ松の人柄を理解して行くようになる。

その元帥から教えられ、ギョロ松が知る事になる、河原の掘建て小屋で幼い弟と二人暮しをしている病気の少女(小林幸子)…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

何だか、手塚治虫の「ブラックジャック」や、黒澤明の「酔いどれ天使」(1948)辺りを連想させるヒューマンドラマである。

酒好き、喧嘩好きの天衣無縫な自由人…という所は、従来の勝新のイメージそのままだが、一方で生真面目な医者としての真摯な姿もかいま見せる。

悪い話ではないのだが、設定その他、全体的に、どこかで観たような印象が付きまとうのが、気にならないでもない。
貧民街、チンピラ、病気の健気な少女…など、オリジナルはやっぱり「酔いどれ天使」辺りであろう。

ユーモアやアクションなども加わり、「酔いどれ天使」などよりは、はるかに娯楽色が強まっているというか、通俗っぽくなっているのは確か。

盲腸でかつぎこまれる、ドヤ街に住むホステス役の江波杏子のおきゃん振りなどが珍しい。

貧しい少女役の小林幸子とは、現在のど派手な紅白衣装で有名な、演歌歌手の小林幸子その人である。
本作では、重要な役所を立派にこなしている。

娯楽作品としては後味も悪くなく、この作品には続編も作られている。