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八つ墓村('96)

1996年、東宝映画、横溝正史原作、大薮郁子脚本、市川崑脚本+監督作品。

ハイコントラストで粒子の荒い着色画像に、忌わしい惨劇が断片的に映し出される。
襲われた中年男が叫ぶ!「祟りじゃ!八つ墓様の祟りじゃ〜!!」

オカルトブームに乗り大ヒットした松竹版の「八つ墓村」(1977)に次ぐ、市川崑による同じ原作映画である。

70年代、角川春樹氏が、最初に映画化を目指していたのが、この「八つ墓村」であり、諸事情から、他の全ての映画化権は取得できたのに、肝心のこの映画化権だけは松竹に持って行かれた…という、曰く付きの作品である。

当初、市川監督は、かつてと同じように、石坂浩二の金田一で撮るつもりだったようだ。

今回の金田一役は豊川悦史。

ストーリーと見せ場は、松竹版には登場しなかった里村慎太郎(宅麻伸)、典子(喜多嶋舞)兄妹が登場するため、若干、人間関係が異なっていく他は、ほぼ松竹版と同じように進行して行くのだが、主人公たる寺田辰也の印象がまず弱い。

高橋和也という人らしいが、役者としては無名に近く、全く「華」がないというしかない。

森美也子を演じる浅野ゆう子にしてもしかり。
テレビのサスペンスドラマならともかく、映画版でのこのポジションはきつい。

その他、脇を固める役者さん達も、今一つインパクトに欠け、連続殺人が起こっているにもかかわらず、村の描写にほとんど緊張感がないのが寂しい。
どの画面をとっても、閑散としているというか、低予算で作られている様子が透けて見えるのである。

市川監督独自の、荒いハイコントラスト映像の挿入や、シリーズお馴染みの轟警部(加藤武)による「よし!分かった!」や、粉薬を吹き出すサービスなどが登場するにも関わらず、深みのある照明技法や、壮大な風景描写などは陰を潜めているため、往年ほどの魅力は感じられない。

超大作として作られた松竹版と、単純に比較してはならないだろうが、やはり、小さくまとまって地味になってしまった印象は否定できない。

デジタル合成で双子の老婆を演じる岸田今日子や、濃茶の尼を演じる白石加代子などの怪演は愉快なのだが…。

オカルトブームに後押しされていた松竹版の頃とは、時代もすっかり変わってしまった事も、本作にとっては不幸だったのかも知れない。

何やら、かん高い声でおどおど早口に喋る、オカマのような独特のトヨエツ金田一は、「人好きのするキャラクター」という部分の彼なりの解釈だったのだろうが、全体的にテンションの低いこの物語では、その魅力が輝く事もなかったように思える。

ただ、松竹版「八つ墓村」を観ていない人が、単独でこの作品を観るならば、これはこれで、それなりにコンパクトにまとまったミステリー作品という印象を受けるかも知れない。

この作品をきっかけに、昔の様々な役者が演じた金田一作品への興味を持ってくれれば幸いである。