TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

犬神の悪霊(たたり)

1977年、東映東京、伊藤俊也脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

ウラン鉱を探しに、久我村の山中にジープで乗り込んでいた加納竜二(大和田伸也)、西岡(小野進也)ら3人組は、全裸で水浴びをする二人の若い娘、剣持麗子(泉じゅん)と垂水かおり(山内恵美子)を発見。
その後、狭い道ぞいに建っていた古い祠を知らずにジープで引っ掛けて壊すと同時に、車の前面に躍り出て吠えかかってきた犬を轢き殺してしまう。

その犬を連れていたかおりの弟イサムは悲哀に暮れ、加納たちの姿を睨み付けるが、当の加納たちは、ウランの鉱脈発見にうかれ、そんな事に構っている余裕はなかった。

半年後、加納と剣持麗子は村で挙式を挙げるが、三三九度の盃をパチンコ玉で破壊したイサムの行為は、剣持家の逆鱗に触れ、もともと、犬神憑きの家柄として村八分状態だった垂水家は、完全に孤立してしまう。

東京に戻って、改めてホテルで披露宴を行っていた加納達の目の前で、挨拶をしていた西岡の様子がにわかにおかしくなり、その後、彼は高層ビルの屋上から墜落死する。

さらに、調査団に参加したもう一人も、深夜、多数のシェパード犬に襲われ、かみ殺されてしまい、それを目撃していた加納も熱にうなされるようになる。

自分も加納が好きだったのだが、今は別の人と結婚したと知らせる友人、かおりからの手紙を読んだ麗子は、加納が犬神に取り憑かれたと確信し、自ら身に付けていたお守りのネックレスを加納に付けさせると、その日から、彼女の様子が徐々におかしくなって行く…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

70年代、大ヒットした「犬神家の一族」(1976)や「八つ墓村」(1977)「エクソシスト」(1974)「オーメン」(1976)などをヒントに作られた便乗オカルト作品のような内容なのだが、監督独自の感性や様々な要素が混入しているため、一種独特の世界になっているのが特長。

特に目に付くのは、村の描写ののどかさ、牧歌性である。
イサム以外の子供達の描写は屈託がなく、どこか伸びやかでさえある。
このために、本作は、この手の作品特有の「暗さ」や「おどろおどろしさ」が、さほど感じられない。

さらに、目に付くのは、その「エロティシズム」描写であろう。
麗子を演ずる泉じゅんは、当時のエロティック系グラビアアイドルである。
今観ると、さほど過激な描写でもないのだが、前半部分では、かなり意図的にその手のシーンが繰り返される。

子供と牧歌的な農村風景のイメージは、その後の伊藤監督作品「風の又三郎 ガラスのマント」(1989)、エロティシズムイメージの方は「白蛇抄」(1983)に繋がるのではないだろうか。

無気味な演技をさせたら右に出るものがいない白石加代子が、この作品にもちゃんと霊媒師として登場するし、セリフは少ないながら、かおりの母親として岸田今日子、父親に室田日出男、麗子の母親に小山明子などが顔を見せている。

「公害」「村八分」「少女趣味」など、様々な要素が入り交じっているため、全体的に散漫な印象になってしまっており、クライマックスの超常現象が取って付けたようで、唐突に見えてしまう。

演出に問題があるのか(全体的に、妙に照明が明るい)、オカルトとしては、ほとんど怖くないのだが、特にそういうジャンルを意識して観なければ、それなりに興味深い作品になっている。

余談だが、「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」(2001)は、本作からかなりイメージをいただいているのではないだろうか?

森の中、壊された祠、犬への虐待、暴走族、ドリル、放射能…、共通イメージが多すぎるような気がするのだが…。