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喜劇 陽気な未亡人

1964年、東京映画、八住利雄脚本、豊田四郎監督作品。

フランキー堺が、幽霊役をはじめ、9役に挑戦する、異色の女性応援映画。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

真っ昼間、ある墓地脇の道路から白く光る幽霊が出現。

墓参りに来て雑談をしていた未亡人の尾形圭子(新珠三千代)とその母親(望月優子)に近づき、様子を見始める。
その幽霊こそ、圭子の亡くなった夫、俊次であった。

圭子は、そんな俊二の墓に花を添えている見知らぬ女(岸田今日子)を観て不審がる。

女が立ち去った後、供えられていた花を引き抜いて捨てた圭子は、夫が残してくれた遺産を利用し、アパートに改装中だった自宅に帰ると、その設計者で大学助教授の木田(フランキー堺)に会う約束をする。
そういう様子を、幽霊の俊二はしっかり、側で見つめていた。

一方その頃、とある団地住まいの禎子(水谷良重)は、仕事にしか感心がない夫(フランキー堺)との夫婦関係に疑問を感じていた。これでは、未亡人と同じ状態だと。

同居している生意気盛りの妹、修子(中尾ミエ)には、稔(坂本九)という同じ会社に勤めるカレシがいる。

そんな団地に、近所から「八百清商店」という移動八百屋がやって来る。
運転しているのは未亡人の伸枝(池内淳子)と一人息子の恭一(金子吉延)、ちゃっかり同乗してきたのは保険屋のおばさん(乙羽信子)であった。

伸枝には、すでに新しい男(フランキー堺)がいたが、幼い恭一は、そんな二人の関係に気付き、どこかしら寂しさを感じている様子、亡くなった父親が持っていたラッパを片時も離そうとはしない。

禎子と尾形圭子には、共通の友人で、料亭を取り仕切っている、これまた未亡人の正子(淡島千景)がいた。彼女は、男の事で悩んでいる二人を呼出すと、男の本性を見せてやるといって、嘘の手紙で誘い出した助平な客(フランキー堺)の様子を、隣の布団部屋の覗き穴から盗み見させた後、圭子の母親も呼出し、女達だけでどんちゃん騒ぎを始める…。

 



「女にとって、あらゆる男というものは、しょせんは一つの物なのである」
女性達の相手である複数の男が、全てフランキーである所なども、そうした皮肉が込められているのだろう。

同じく幽霊が登場しながら、どこかユーモラスな作風の「黒い十人の女」(1961)にも共通する、女性の視点から、男をちょっとからかった諷刺劇のような内容になっている。
ひょっとすると、本作は「黒い〜」をヒントにしているのではないだろうか?
あるいは、海外に、元ネタとなったような作品があるのか?

禎子や圭子らが、やや古風な考えにどこか縛られている一つ前の時代の女性を象徴していると見るならば、中尾ミエ演ずる修子は、結婚すると会社を辞めなければならないなどという、男女平等とはいわれながら、実際には女性に不利な社会に強い憤りを感じている現代女性の象徴である。

彼女は、表面上、彼女に共感しているように見えて、実はまだまだ認識が甘い恋人九ちゃんを、うまくコントロールしようと同棲を始める。

さらに本作で印象深いのは、恭一役を演じる子役の金子吉延(後に演じたテレビの「青影」役で有名)である。
最初に登場する時は、単なる幼い子供のように見えるのだが、やがて、ドラマ上、重要な役所を演じるようになる。まだ、青影の時程、太ってはおらず、愛らしいだけに、その確かなセリフなどには感心させられる。

フランキー演ずる俊次の幽霊は、足もちゃんとある、モダンな洋風スタイルである。
合成は、最初に他の役者達がセットで普通に演技した後、同じセットに無反射の黒布をかぶせ、録音しておいた前の演技者達の声を参考に、フランキーが動きを合わせたものらしい。

白塗りの顔に白いカツラ、白い帽子に白いシャツ姿と、全身白で固めたフランキーが、特殊なレンズでぼーっと光って見える効果は面白く、日本風の幽霊というイメージを塗り替えた斬新なものである。

こういうモダンで洒落たファンタジーコメディが、当時作られていたという事自体に驚かされる。