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エノケンのちゃっきり金太

1937年、P.C.L.、山本嘉次郎原作、脚本、監督作品。
製作主任は谷口千吉である。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

元々、前後編に分かれた作品だが、今ではフイルムの大半は失われており、ダイジェスト版しか残っていないらしい。これは、そのダイジェスト版の感想である。

覗きからくりの見せ物で、歌って客を集めているエノケンの姿から始まる。
キャメラが覗きからくりのレンズの中に入り込むと、そこにタイトルが書いてあるという趣向。

時は1868年、勤王佐幕の嵐が吹き荒れる頃、江戸の片隅の芝居小屋では、田舎言葉丸出しの横暴な侍達が舞台の娘踊りなどに浮かれていた。

しかし、気が付くと、一人、二人の侍達が懐中物がない事に気付き出す。
最近、侍達ばかりを狙う巾着切りの金太(榎本健一)の仕業に違いないと睨んだ、八丁堀の岡っ引き、倉吉(中村是好)は、金太馴染みの飯屋「上州屋」に乗り込むが、すでに盗んだ金をそっくり博打ですって丸裸状態の金太に開き直られては、それ以上、追求する事ができない。

その頃、芝居小屋で金太にすられた巾着の中に、大切な密書を入れていた薩摩の侍とその仲間達は、何とか巾着切りを捕まえて、密書を取り戻そうと思案していた。

再び、芝居小屋で金太を見つけた薩摩侍達、上州屋に乗り込むが、店の主人(柳田貞一)と、娘で金太に気のあるおつう(市川圭子)に妨害され、まんまと金太に逃げられてしまう。

訳が分からないなりに、倉吉と薩摩侍たちに追われている事を知った金太は、このまま、江戸へはいられないと旅へ出るのだが、倉吉も執拗に追い掛けて来る。

やがて、ひょんな事から二人旅になった金太と倉吉(この辺、フイルム欠落)、長雨に祟られ、大井川を渡る事ができないまま、彰義隊騒動でもぬけの殻になった江戸へ舞い戻る事に…。

金太に会いたい一心で、一旦、父親と江戸を抜け出したものの、また「上州屋」に一人戻って待っていたおつうは、薩摩侍達に拉致されてしまう。

一方、新政府軍に化けて江戸市中に戻ってきた金太と倉吉だったが、身動きが取れない。
そこに現れたのが、以前より、飴屋に身をやつして薩摩藩の動向を探っていた密偵の三次(二村定一)、長州藩の隊長に化けた彼は、二人を巧みに連れ出し、おつうピンチの報を知らせるのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

江戸から明治に移り変わろうとする時代を背景に、追う者と追われる者という、コメディの基本中の基本パターンで作られた作品だが、要所要所が欠落しているため、おおまかな話の流れはつかめるものの、細部の笑いの工夫が今一つ伝わって来ないのが残念。

金太のすばしっこさと、とぼけた倉吉のコンビが絶妙。
この二人のコンビは、本作の続編ともいうべき「ざんぎり金太」(1940)で再び共演する。

「ざんぎり〜」では、 本作のラストに流れる曲が、そのままのギャグの小道具として使われていたり、近くに倉吉が現れると、自然にくしゃみが出てしまう金太の癖などもそっくり再現されている。

旅の途中、女の「ごまのはい」に気付かず、鼻の下を伸ばしてしまった事から、丸裸にされてしまう倉吉の姿や、新政府軍に紛れ込んで、隊長から怪しまれ、苦し紛れの薩摩弁で返事をするエノケンの姿などはおかしい。