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わたしの凡てを

1954年、東宝、菊田一夫原作、梅田晴夫+浅野辰夫+市川崑脚本、市川崑監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

冒頭のタイトル部分、波ガラスによるぼかしを効果的に使い、池部良、上原謙、有馬稲子、そして、最後に伊東絹子がにっこりとアップで画面に登場する様は、いかにも女性好みのスター映画という感覚で心憎い演出といえよう。

北海道の貧しい家での事。
父親が借金を棒引きしてもらう代わりに、6年振りにシベリアから帰ってくる恋人の慶太を妹道子(伊東絹子)と結婚させる約束をした事を知った姉のお敏(日高澄子)は、夜訪ねてきた慶太が自分ではなく、道子の名を呼んだ事に絶望し、彼を家に入れなかった。
結果的にそのまま慶太は外で凍死。
お敏は書き置きを残して家出してしまう。

その姉を探すために一人上京した道子は、危うくトラックに轢かれそうになる。
トラックから降り立ってきたのは、大阪レイヨンという衣料会社の東京支社で働く関(池部良)という若者であった。
彼は、大阪から単身、支店長の車坂(二本柳寛)に仕事の指示を与えにやってきた社長令嬢の絢城るい(有馬稲子)を会社に送り届ける途中だったのだ。

その場は、何でもないと立ち去る道子だったが、北海道で偶然知り合い、名刺をもらっていた日本画家の風間厚(上原謙)の家を訪ねた所、気の強い叔母(沢村貞子)から押し売りと間違われ追い返されてしまう。

東京では他に頼る人もいず、困窮していた道子は、その後、偶然、路上で関と再会するのだった。
道子から姉を探している事を聞かされた関は、自分の下宿に時々上がり込んでくる北海道出身の飲み屋の女、お敏が事情を知っているのではないかと思い、彼女と会わせようと、それから何かと道子の世話を焼くようになる。

夜、道子と歩く関に気付いたのが、車で通りかかったじゃじゃ馬のるいであった。
その車には、彼女の東京での居候先であり、会社の嘱託をしている風間も偶然乗り合わせていた。
道子に気付いた風間は、以前、家人が門前払いしてしまった事を詫び、そのまま彼女を自宅に連れて帰る。
風呂上がりの彼女の思わぬ美しさに気付いた風間は、さっそく彼女を絵のモデルにして描き始める。

しかし、自分が思いを寄せる関が、すっかり道子に傾いた事を知ったるいは、道子を呼出し、難詰する。
たえず人を不幸にする自分に気付いた道子は、そのまま風間の家を飛び出して行方知れずになったしまう…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

戦後、日本人初のミス・ユニバースに選ばれ「八頭身美人」といわれた伊東絹子を主人公としたサクセスストーリーである。クライマックスは、伊東がアメリカで行われたコンテストで3位を受賞するニュース映像が、ドラマと重なり、そのまま使われている。

関と道子のわざとらしいすれ違いとか、余命幾許もない病の画家や自暴自棄な姉といった古臭いお涙要素、時折、甘く切な気な唄が挿入されたり…と、典型的なメロドラマ仕立てなのだが、今、その手の作品がなくなって久しい事もあり、意外と面白く観る事ができる。

時の人をそのまま映画の主役に…というと、いかにも「きわもの」というか、安易な企画のように思えるが、なかなかどうして、脇を固める役者達の魅力もあって、今で言うタレント映画とは一線を画したしっかりとした作りになっているのだ。

基本的には、道子をめぐる風間と関の三角関係が話の中心となるのだが、それに、関に夢中な、るいの天衣無縫な行動と、元華族であるというプライドのため、今や歪んだ性格になってしまった車坂の横やり、また、頑に妹に憎悪を持ち続け、進んで堕ちて行く姉お敏の存在などが話を複雑にして行く。

関と道子が馴染みとなる中華そば屋の主人に藤原鎌足、後半、ファッションモデルとなった道子の同僚として塩沢登代路(とき)、ファッションショーの司会者としてトニー谷、お敏の「ひも」として加東大介などが登場している。

伊東絹子自体は素人という事もあり、芝居はあまりうまくはないのだが、そのややテンションの低い芝居を救っているのが有馬稲子である。

下手をすると、とんでもなくどろどろとした暗くなりがちなストーリーを、早口でドライな大阪弁を話す彼女の存在が軽やかに見せているのがうまい。
有馬稲子こそが、本作の影の主役といっても良いくらいである。

ただし、伊東絹子の方も、後半、ファッションモデルになるシーンになると、さすがに見違えるように生き生きとしてくるのはさすがというべきだろう。