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ノーサレンダー

1985年、アメリカ、コーリー・ユエン監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

空手を習い始めたばかりの高校生、ジェイソン(カート・マッキニー)の父親は、ロスで空手道場を開いていたが、ニューヨークの裏組織から仲間になれと誘われたのを断ったばかりに、一味の用心棒、ロシア人の空手使いアイヴァン・クラシンスキー(ジャン・クロード・ヴァンダム)に足をへし折られてしまう。

それをきっかけとして、父親は道場をたたみ、ジェイスンと共にシアトルに引っ越す事になる。

気が治まらないのは、自分もクラシンスキーに痛めつけられた事が忘れられないジェイスンだった。

さっそく、新しい家のガレージ内に、自分専用の練習ジムを作り、さっそく空手の練習を始める。
壁には、ジェイスンが尊敬してやまないブルース・リー「燃えよドラゴン」のポスターがしっかり貼られていた。

そんな彼とすぐに親しくなったのは、ダンスとラップに夢中の陽気なアフリカ系、R・J・マジソン。

しかし、シアトルには、そんなジェイスンを快く思わない男達もいた。
地元で有名な空手使い、イアン・ライリー道場の門下生達であった。
さっそく、ジェイスンをからかった彼らは、町で乱闘騒ぎを起こしてしまう。

そんな血の気の早い息子を、飲み屋の主人になっていた父親はきつくたしなめる。

しかし、ひたすら強くなりたいと望んでいたジェイスンは、知らずに、テレビに出ていたライリーの道場へ入門しようと、R・Jと共に訪れるのだが、そこが、先日の喧嘩相手の巣窟だった事を知り、逃げるように帰る事になる。

さらに、シアトルで親しくなったケリーという少女の誕生パーティにめかしこんで出かけたジェイスンは、またもや、その場にいたライリーの門下生達に、彼女の目の前でこてんぱんにノサれてしまう。
彼女はイアン・ライリーの娘だったのだ。
それまでのいきさつを知らないケリーは、門下生達の非礼を詫びるが、恥をかかされたジェイスンは聞く耳を持たなかった。

傷心の彼がたどり着いたのは、シアトルにあるブルース・リーの墓の前だった。
ジェイスンは、墓に向って強くなりたいと念じる。

いつまでも空手に執着して、自分に対して反抗的なジェイスンの態度に怒った父親は、ガレージ内をめちゃくちゃに破壊してしまう。

R・Jの協力を得て、近所の空家に新しい練習場を作ったジェイスンの前に現れたのは、何と、あのブルース・リー(キム・タイ・チョン)その人だった!

ジェイスンの願いを聞いて、光の中から蘇ったのである。

さっそく、ジェイスンは、ブルース・リーの指導の元、激しい猛特訓を始める…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

一種の青春スポ根ものなのだが、下らないといえば、これほど下らない発想もないであろう。

しかし主人公を演じるジェイスンは、決して生っ粋の白人ではない所がミソなのである。
友人のR・Jにしても同様。
本作が、おそらくアメリカに住む数多くのマイノリティ向けに作られた娯楽作品であるのは一目瞭然である。 マイノリティが白人に勝つには、スポーツか音楽など、特殊なジャンルしかない。

そうした当時のマイノリティたちにとって、ブルース・リーの登場は「有色人種の希望の星」そのものだったのだろう。

そこで、ジェイスンはブルース・リーに憧れ空手、R・Jはマイケル・ジャクソンばりのミリタリーファッションを身につけ、ラップとダンスで活躍するのである。

ラストはお決まりのパターン通りだが、この頃から、180度両脚開きしか得意技がないように見えてしまう、悪役のジャン・クロード・ヴァンダムがちょっと侘びしくも思えたりする。

東洋人の目から見ると、全然似ていないブルース・リーも御愛嬌。

随所に80年代ミュージックが流れ、安っぽいながら、強烈に時代を感じさせる作品になっている。