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幸福

1981年、フォーライフ+東宝映画、エド・マクベイン「クレアが死んでいる」原作、日高真也+大薮郁子+市川崑脚本、市川崑監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

城北署の刑事、北(永島敏行)は恋人の中井庭子(中原理恵)から電話を受けていた。
庭子は、社会福祉のボランティアに熱心な大学生、北がある事件の聞き込み中に出会って以来の付き合いになる。

一方、一ヶ月前、突然、妻に家を出て行かれ、残された二人の子供の面倒を見なければいけなくなった刑事、村上(水谷豊)が、非番であったにもかかわらず、自宅で呼び出しを受ける。

大きな道路に面した誠文堂という書店内で、銃の乱射事件が発生したのである。

先に現場に到着した北と野呂(谷啓)は、無惨な被害者の様子を目の当たりにして立ちすくんでいた。

被害者は店主と男女二人の客。
北は、被害者の一人、本で顔が隠れた状態の女性が着ている白いセーターに慄然とする。
先程電話をしてきた庭子が、今日は白いセーターを着ていると話していたからであった。
恐る恐る本をめくってみると、はたして、被害者は庭子であった。
号泣する北。
遅れて現場に到着した村上が目撃したのは、そんな修羅場の最中であった。

犯人は、男だったらしいという以外、手がかりはなし。
かろうじて、息が残っていた遠藤という被害者が、運ばれた病院で発した「うどうや」なる謎の言葉だけが残される。

犯人の本当の狙いは三人の内の誰だったのか。

一旦は、捜査から外された北だったが、先輩である村上に必死の懇願をして捜査に復帰する。

やがて、北や村上は、庭子の知られていなかった実生活を知る事になって行く…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

エド・マクベイン原作の翻案といえば、ヒット作「踊る大捜査線」にも引用されていた黒澤明の名作「天国と地獄」(1963)が有名だが、本作もまた、タイプは違っているものの、その「天国と地獄」と並び称されてもしかるべき名作である。

本作では、マクベインの「87分署もの」の特長である、事件そのものの謎解き同様の比重が与えられている刑事達の私生活や人間としての苦悩が、村上を中心にきっちりと描かれており、物語に奥行きを与えているのだ。

捜査を進めて行く内に明らかになって行く、現実の厳しさ、残酷さも見ごたえがあるのだが、同時に、捜査の時間経過とともに変化して行く、村上と小学生の姉弟との親子関係が、観る者の胸を打つ。

庭子の母親に草笛光子、福祉事務所の男に小林昭二、別の署の刑事に常田富士男、そして、剣持刑事課長として加藤武といった「金田一シリーズ」でもお馴染みの面々が、要所要所に顔を見せている。
もちろん、加藤武は、あの「よし、分かった!」をサービス。

庭子の父親役、浜村純や、事件関係者の一人を演ずる市原悦子などの存在感のある見事な演技が素晴らしい。
中原理恵もなかなか良い!

「銀残し」と呼ばれる、白黒画面の雰囲気に近い渋い色調も効果的。

一つの事件を通し、人間の浅ましさ、醜さといったネガティブな部分と、人間としての前向きな姿勢、信頼関係といったポジティブな面の両面を一挙に見せてくれる手腕はさすがというべきだろう。

金田一ものなどの人気シリーズを通して育まれて行った市川崑ミステリー映画が到達した、一つの頂点ともいうべき作品ではないだろうか。

あまり知られていないのが残念。