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東北の神武たち

1957年、東宝、深沢七郎原作、九里子亭脚本、市川崑監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

かつての東北は貧しく、そこに生まれた次男、三男達は「やっこ」と呼ばれ、長男と区別する為にボロを着せられ、ヒゲも伸び放題で、一生、土地も嫁ももらえない存在であった。

彼らやっこのあまりにみじめなその姿が、どこか遠い昔の神武天皇に似ているというので、土地では「神武(ズンム)」と呼ばれていた。

この物語の主人公は、利助(芥川比呂志)といい、そんなズンムの一人だったが、生まれつき口が臭く、周りからは「腐れ」と呼ばれて嫌われていた。

ある日、たんぼに出かける途中の利助に声をかけたのは、村の他のズンムたち。

何でも、仁作(伊豆肇)の妹、きぬが妊っており、その父親は自分達ズンム達の誰かだと、村中で噂されているので、自分達は抗議のため、仕事をボイコットするというのであった。
何となく、同調する利助。
彼は生まれつき気の弱いたちで、兄(千秋実)やその嫁(東郷晴子)からも嫌われており、家でもたえず肩身の狭い思いで暮していた。

そんな中、長患いで寝込んでいた三角屋敷の父っつぁん(藤原鎌足)は、自分がこんなに長く苦しむのは、父親が昔、娘に夜ばいに来ていたやっこを叩き殺してしまった祟りに原因があるに違いないと言い出し、息を引取る前に、その祟りをおさめる為に、村のやっこ達一人一人に、供養だと思って、一晩だけ結婚させてやってくれと女房おえい(浪花千栄子)に言い残す。

やがて、律儀にも、おえいは、夫の遺言通りに、村の西側のやっこから一人づつ夜に呼び出しをかけるようになる。

その噂を聞いた利助は、一生あきらめていた事が実現すると興奮状態になる。
そして自分の番に当たる夜、利助は卵を飲み、まんじりともしないで、おえいの来るのを待っていたのだが…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

物悲しい物語が、ユーモアとファンタジーを交えた独特の口調で綴られて行く。

口が臭い為に「腐れ」と呼ばれ、周りからのけ者にされている主人公の姿は、「楢山節考」にも似たようなキャラクターで登場する。

村の娘達は、年に2度、村を訪れる商人(浜村純)によって、値段を付けられ、売られて行ってしまう。
子供を生んでしまったきぬなどは、半値に値切られてしまうのだが、それでも取りあえず売れた事に安心し、破顔する父娘の姿が哀しい。

その背景にある貧しさの歴史は、とにかく辛く哀しいものなのだが、それを重く語らず、さらっと笑い話のように語っている所が凄いというしかない。

ラストの方は、本当にファンタジーのような雰囲気があり、心に強く残る。