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太平洋の鷲

1953年、東宝、橋本忍脚本、本多猪四郎監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

戦前の刑事部屋で取り調べられている暗殺未遂者らしき男。
殺したい人物の名前を一人づつ挙げて行き、その一人として「山本五十六」の名前を出す。
その名前を聞き、いぶかしそうな刑事達。
その男の論理では、「三国同盟に反対し、英米崇拝者である山本五十六は国賊である」というのであった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

この作品は、その山本五十六(大河内伝治郎)を中心とし、日本が太平洋戦争に突入する辺りから、ミッドウェイでの敗戦後、ソロモン海域のブーゲンビル島上空で彼が戦死するまでを描いたものである。

三船敏郎主演で後年作られた、同じく東宝映画「連合艦隊指令長官・山本五十六」(1968)と構成は似ている。

前半部分は、航空本部長も兼任していた山本五十六が、やがて、政府が変わるにつれ、連合艦隊指令長官に任ぜられ、自分の気持ちとは裏腹にアメリカとの開戦を迫られ、一旦戦争が始まってからは、形勢有利な内に何とか英米との講和を…と願う彼の気持ちも空しく、政府も国民も一時の勝利に浮かれ、そのままズルズルと形勢逆転されて行くままになる日本全体の気運に、不本意ながら自らも身を任せざるを得なくなる姿を描いている。

若き三船敏郎、三國連太郎、小林桂樹、伊豆肇らをはじめ、志村喬、小杉義男、堺左千夫、高田稔、菅井一郎…と顔ぶれは豪華なのだが、いかんせん、人間ドラマは取って付けたかのような有り様で、全体的に、歴史の流れを大雑把に眺めているだけ…というような印象が強い。

正直、映画としては凡庸な出来で、散々、戦争スペクタクルを見せ場として描いておきながら、取って付けたかのように、最後に「どんなに血みどろの戦争を続けても、そこから何が生まれてくるというのか?」…という風な説教くさい字幕が出てくるだけではメッセージも何も残らない。

要するに、当時の状況下において、戦争スペクタクルを撮る為の言い訳をしているとしか思えないのである。

一応、前半部の軍人や時の施政者らの会話シーンの中で語られる「政党政治の腐敗が軍閥を生んでしまった」…という辺りが、戦後の視点らしいといえばいえなくもないのだが、後半になるとただただ戦闘スペクタクル中心。

三船演ずるパイロットは、真珠湾攻撃とミッドウェイ海戦での最後の空母、飛竜から片道燃料だけで飛び立って行く爆撃機の乗組員として登場している。
これ又、ほとんどセリフらしいセリフもなく、顔見せ程度の出演である。
他の出演者に関しても、基本的には同じような扱い。
人物達は単なる状況の説明役という感じでしかなく、そこには一人の人間としての苦悩や愚かしさを描く…などといった姿勢は微塵も感じられない。

大河内伝治郎演ずる山本五十六も、温厚な人柄が忍ばれる以上に、特段彼の心理を掘り下げて描くといったような意図も見えず、彼の存在そのものが、その後、多く作られて行く「戦争では日本人もまた全員犠牲者」的な象徴として描かれているようで、全体的に「上っ面だけ」という印象は拭い切れない。

戦闘シーンは大半が実写フイルムで、そこに円谷英二らの手による「ハワイ・マレー沖海戦」(1942)からの流用特撮シーンや新撮特撮シーンなどが混合されている。

その特撮部分に関しても、白黒映画という事もあり、なかなか巧みに表現している部分もあれば、稚拙さが如実に出てしまっている部分もあり、カットごとの玉石混交の観は否めない。

その後、一つのジャンルを形成する事になる、東宝特撮戦争映画のきっかけとなった作品…という位置付けを持つくらいか。