1947年、東宝、黒澤明監督作品。
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満員電車から掛けおりる女。
駅前で恋人を待ち受ける男が一人。
道に落ちていたタバコを拾い上げようとする所に女が現れそのタバコを払い除ける。
「三日も吸ってないんだぜ」とぼやく男。
このタバコを拾うシーンは、男の現在の窮乏振りだけではなく、卑屈になっている生き方さえも象徴しているのだが、これはラストへの伏線ともなっている。
恋人同士のせっかくの日曜日、しかし男の所持金は15円、女の所持金は20円。
このわずかなお金で2人は一日を過ごす事になる。
終戦直後の極貧の時代。
今となっては、その実体は知りようがないのだが、劇中に登場する物価から想像すると…、
六畳一間の陽もささない貸し間が一月に600円。
まんじゅう3個で10円(潰れた為、おまけの値段という事だが、割高に感ずるのは、甘いものが手に入りにくい時代だったからか?)。
コーヒー一杯5円。
ビスケットのようなお菓子が一枚5円。
所持金が2人で20円になった時点で「映画でも観ようか?」といっているので、映画は一人10円以下だった事になる。
大雑把にいって、現在の物価の100〜50分の1くらいだろうか?
だとすると、男は現在のお金で大体1000円前後、女が大体1500円前後くらいしか持っていないという事になる。
男(沼崎勲)は、戦争から帰って来たものの良い仕事にも付けず、友人のアパートに下宿状態、将来に悲観している。
女(中北千枝子)の方も、姉と同居しながら働いている身であるが、こちらは何とか前向きに生きようとしている。
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いくつかのエピソードを交えながら、本作では、悲観的なこの男に現実の冷酷なまでの厳しさを、何とか夢を見ようとする女には理想を持つ生き方を、各々代弁させているかに思える。
2人の絶望と希望の葛藤は、やがて、後半の野外音楽堂のシーンで頂点に達する。
ここで有名な仕掛けが登場する訳だが、今観ると、このシーンはやたらともたついているというか、物凄くわざとらしく感じられなくもない。
娯楽が少なく、今よりも映画と庶民が一体化していた時代だったからこそ成立した仕掛けだろうか?
明るいシーンもない訳ではないが、大人びた言葉を話す浮浪児が登場してくるシーンなどは、今でも観ていて一番辛く心に突き刺さる。
この時代の黒澤作品の中では、さほど優れているともいえないが、この時代を垣間見る事ができる貴重な資料的意味合いも含め、ファンならずとも、一見の価値はあるのではないだろうか。
