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無法松の一生('43)

1943年、大映京都、岩下俊作「富島松五郎伝」原作、伊丹万作脚本、稲垣浩監督作品。

九州小倉を舞台に、不幸な生い立ちから小学校にも行けず、学がないまま成長し、終生、車引きを生業にしている、粗暴な性格ながらも憎めない性格の富島松五郎という男の半生を描いた名作である。

冒頭部分は、粗暴ながらも人から愛されてやまない松五郎(阪東妻三郎)の武勇伝風なエピソードがいくつか紹介される。

やがて、一人のひよわな少年吉岡敏雄(沢村アキヲ=長門裕之)と出会った事から、軍人であるその父、吉岡小太郎(永田靖)と妻良子(園井恵子)の知遇を得、小太郎急死の後、何かにつけ、残された母子の世話をして行く事になる松五郎の人生を描いていく。

製作当時、軍部の検閲等もあり、特に軍人婦人である良子への松五郎の恋慕表現部分などを中心に、かなりカットされた箇所も多いらしいのだが、基本的に本作の作り方自体にも、場面の省略を効果的に使って時間経過を簡潔に処理している事もあり、意外と気にならないのが不思議である。

何といっても、阪妻の演じあげる松五郎のキャラクターが魅力的で、ぐいぐい物語に引き込まれて行く。

継母に辛くされた少年時代の回想シーンなども、リアリティと幻想性をうまく混在させ、物哀しさを際立たせている。

子供時代だけではなく、終生独身で、あけっぴろげな性格の裏側で孤独に耐えていた松五郎のさびしさの感情は、徐々に成長して行く敏雄が、だんだん自分を疎ましく感じはじめているのを松五郎自身が感じ始める後半部分でも浮かび上がってくる。

やがて、その寂しさが、良子を秘かに慕う気持ちに繋がっているのではないかと推測されるのだが、この肝心の部分は、本作ではカットされてしまっているため判然とはしない。
しかし、観る側からすると、直接的な表現がないがために、余計に想像力を刺激され、胸打たれる事になる。

この寂しさの表現がある為に、クライマックスともいうべき後半の夏休み期間、成長し、熊本の学校から帰省して来た敏雄が連れてきた恩師の為に、松五郎が、今は失われてしまった伝統的な祇園太鼓の打ち方を披露する有名なシーンが光るのである。
太鼓のリズムと松五郎の人生の絶頂ともいうべき、晴やかというか、嬉し気というか、楽し気な表情と波飛沫などのオーバーラップが、場面全体の高揚感を見事に表現している。

本作では、このクライマックスシーンから一挙にラストに繋がれて行く。(大幅なカットシーンがあるため)

この部分、確かに、ちょっと不自然さ、あっけなさを感じないでもないが、逆に余韻も残る名シーンになっているようにも感じる。

この辺の処理に関しては、後年作られた三船主演の完全版と見比べてみると良いだろう。

しみじみと胸に迫る、日本映画らしい情感溢れる名品である。

町の顔役、結城重蔵に扮した月形龍之介の存在感も見のがせない。