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黒薔薇の館

1969年、松竹、松田寛夫脚本、深作欣二脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

画面全体が真っ赤に染まる夕焼けのシーンから始まる。

地方に住む富裕な男、佐古(小沢栄太郎)は、クルーザーから降り立った一人の女性を目にする。

怪しいまでの美しさを持つその女性(丸山=三輪明宏)は「ふじょうりゅうこ」といい、佐古が持つ別邸で開かれているパーティに、毎夜のごとく、8時になると混血の男性ジョージを伴って現れ、魅惑的な歌を歌い、夜11時になると帰宅してしまう、なんとも不可思議な行動で話題の人になっていく。

酔った人気作家の梶岩慎太郎や、代議士の泉川などがちょっかいを出しても、軽くあしらってしまうような女だった。

佐古の長男夫婦(室田日出男と松岡きっこ)も、興味津々で、彼女の様子を見ている。
りゅうこは、いつも、黒い薔薇の造花を手にしていた。
その訳を尋ねると、「この薔薇は、真実の愛と出会うと、赤い本物の薔薇になるのだ」という。

ある晩、そのりゅうこの夫、考古学者の大友と名乗る男性が現れる。

大友(西村晃)は、りゅうこは、かつて、自分と倒錯的な関係にあった、頭がおかしい女房だという。

しかし、遅れてやって来たりゅうこは、彼の姿を見ても何の反応も示さない。

さらに後日、今度は、一人のうらぶれた青年(川津祐介)が、その別荘を訪れる。

彼は、横浜のバーで、歌手であった彼女と知り合い、一目で恋をしてしまったと告白する。
だが、やはり後からやって来たりゅうこは、そんな青年の事は知らないという。

絶望した青年は、涙ながら似館を後にすると、崖から身投げしてしまう。

さらに後日、今度はマドロス姿の荒くれ男(内田良平)がやってくる。
その男は、自分は、神戸の賭場で、鉄火肌のりゅうこを見たというのだった。

しかし、またしてもりゅうこは知らん顔。
右腕に刺青があるはずだと詰め寄るマドロスは、りゅうこの腕に何の印もないのを見てに驚く。

さらにナイフを取り出し、りゅうこに執拗に迫りくる男に対して、お供のジョージが飛び出してくる。

彼も又、ナイフを持っており、マドロス男とジョージは、互いに争い、共に流血して、その場で絶命してしまう。

その事件をきっかけに、佐古は、別宅を改装し、りゅうこに滞在を切望する。
彼は、完全に、りゅうこの虜になってしまっていたのであった。

一人で「黒薔薇の館」に住むようになったりゅうこの元に、一人の青年が姿を現す。
佐古の次男で、女中と駆け落ちをしていた不良少年ワタル(田村正和)であった。

彼の母親、つまり、佐古の細君も、昔、愛人と自動車で出かけた先で事故にあい、そのまま十年以上も、自宅で寝たきりの生活を送っていた。
ワタルは、そんな母親に、時々小遣いをせびりに、こっそり戻って来ていたのだった。
先日など、酔狂にも「黒薔薇の造花」を手みやげ代わりに置いて行ったりしている。

ワタルは、最初は、父親の新しい愛人に興味半分で近づいて来たのだが、徐々に、自分も彼女の魅力に引かれ始めて行く…。

やがて、深みにはまってしまった彼は、りゅうこと逃避行をするために、悪友から誘われた危ない仕事に手を染める事になる…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

アルフォンヌ・ミュッシャの絵、サロン風の館、三輪明宏、マサカズ…。

正に、「耽美的幻想恋愛物語」ともいうべき独特の世界が描かれている。
いわゆる「やおい」的イメージの、先駆的映像作品ではないだろうか?

少なくとも、前作「黒蜥蜴」のように、ドラマの展開で見せる作品ではない。

三輪明宏という、何とも不思議な存在そのものと、彼女(彼?)が醸し出す雰囲気全体を、ひたすら愛でる作品になっている。

さらに、田村正和ファンにとっては、無精髭のマサカズ、砂浜を全速力で走るマサカズ、泣きじゃくるマサカズなど、今では信じられないような貴重な映像も観る事ができる。

であるから、そういうものに興味がない観客から見ると、退屈きわまりない内容というべきだろうが、興味のある観客からすると、その独特の退廃的な世界に魅力を感じるのではないだろうか?

タイトルデザインは鬼才、横尾忠則。
正に「幻想美術映画、幻想前衛映画」ともいうべき、独特の作品になっている。