TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

伴淳・森繁の糞尿譚

1957年、松竹、火野葦平原作、橋本忍脚本、野村芳太郎監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

昭和11年、北九州の若松が舞台。

当時珍しかったトラックを持っていた事もあり、市から指定の糞尿業者に選ばれていた「衛生舎」の社長、小森彦太郎(伴淳三郎)は、同業者たちとの間に繰り広げられている不毛な価格競争を止めるため、同業者組合を作ろうと夢見ていた。

指定業者とはいっても賃金は安く、人からは絶えず蔑まれている。
再三、待遇改善を市の担当者に陳情しても、予算がないの一点張り。
おまけに、ゴミ収集業者との間には長年軋轢もあり、いつも嫌がらせを受けていた。
数少ない従業員の一人、李(山茶花究)も、常々、余りの待遇の悪さに、小森に不平を漏らしていたからだ。

しかし、組合構想に賛成してくれると見込んでいた、同業者(渡辺篤)は、会合の席で反対だと言い出す。

あっという間に、夢ついえた小森は落胆する。
彼は、離れて暮していた実家の女房の元を訪れ、たんぼの一部を売りたいなど告げる。

そんな中、小森は、最近世話になっている政治家から、一人の人間を会社の顧問にどうかと紹介される。
満州から帰ってきたという、口のうまい阿部丑之助(森繁久彌)であった。

小森は、阿部からいわれるままに「陳情書」を用意し、市に提出する。

やがて、衛生舎は徐々に事業拡大して行く。

しかし、これが、小森を微妙な立場に追い込んで行く。

かつて小森が、熱心に応援していた民政党の政治家側から、反対陣営に寝返ったのかと圧力がかかって来たのだ。
さらに、ゴミ収集業者からの嫌がらせも度を越して来た。
小森にとっては、政治などもはや全く感心はなかったが、四面楚歌の状況にじっと耐えるしかなかった。

しかし、そんな小森に待っていたのは、阿部から提示された契約書だった。
「衛生舎」が市の直営になる代わりに、会社の権利を、阿部を紹介した政治家が5、阿部が2.5、小森が2.5で分割するという内容であった。

小森は、ここへきて、はじめて自分が騙されていた事に気付く。

一から自分が築き上げた会社を、全て失うに等しい契約書に、知らずに実印を押してしまったのだ。

その日から、小森は生きる気力も失ったかのような存在になってしまう。
そのふがいない姿に、家族からも見捨てられたようになっていく。

酒場で、酔って上司からの圧力を愚痴っていた市の役人や、自分も政治家から騙されていたと告白する同業者も、素面に戻れば、元のように小森の力にはなってくれなかった。

市に衛生舎が権利を譲渡する当日、小森ら社員が同乗したトラックは、市役所に向う前に、ゴミ収集業者の仕事先に出かける。

いつものように、ゴミ業者たちから、罵倒と共に、小森に向ってゴミが投げ付けられる。
ゴミまみれになりながら、じっと耐え続ける小森。
しかし、ついに小森の堪忍袋の緒が切れる時が来た。

小森は、いきなり、トラックに積んでいた肥桶をひっくり返すと、ゴミ業者たちに向って、肥をかけはじめる。

その場にいた民政党の手先たちも親分も、糞尿の餌食となって行く。

歓声を上げながら、糞尿を積んだトラックは町に戻って行く。
通りかかった悪徳政治家や、小森を食い物にして来た人間たちに、糞尿を浴びせかけながら…。

やがて、糞尿まみれになった小森が、市役所に入って行く…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

「一寸の虫にも五分の魂」というようなテーマだと思う。
学がないため、徹底的に食い物にされ、ささやかな希望や夢を押しつぶされた人間の、最後の最後の意地というか、反逆を描いた哀しい作品ともいえよう。

主役の伴淳は、シリアスな演技で、賢明に生きる小森を見事に演じ切っているが、唯一つ、どうしても気になるのが、彼の言葉遣い。
一応九州弁風のセリフはしゃべっているが、どう聞いても完全な東北弁である。

一部政治家ややくざたちの手中で動かされている、地方都市における人間関係の閉息性や悲哀は、今にも通ずる所であろう。

ラスト、煙突から煙をたなびかせる工場地帯を背景に、山間で黙々と農作業に勤しむ、小森一家の姿が印象的である。