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姿三四郎

1965年、黒澤プロダクション&宝塚映画、冨田常雄原作、黒澤明脚本、内川清一郎監督作品。

黒澤明監督の「姿三四郎」(1943)「続姿三四郎」(1945)を統合したストーリーで、黒澤明自身が編集しているリメイク作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

明治十五年の東京。
子供達の「通りゃんせ」の歌声が響く中、一人の青年が柔術家、門馬三郎(伊藤雄之助)の住まいを訪ねて来る。

弟子入り志願の青年の名は、姿三四郎(加山雄三)。

しかし、門馬の家に集っていたのは、古い柔術を柔道という近代的な形に変え、近年名を上げている修道館の矢野正五郎(三船敏郎)の事を面白く思っていない無頼の徒たちであった。

三四郎は、弟子入りしたその夜、矢野を闇討ちしようとする門馬一派に同行させられるはめになる。

しかし、矢野の力量は凄まじく、暴漢たちは一人残らず河に投げ込まれ、門馬自身も全く歯が立たないのを見て取った三四郎は、その場で、履いていた下駄を脱ぎ捨て、矢野を人力車で送る役目を願い出る。

この脱ぎ捨てられた下駄に、その後の月日の流れを象徴させる描写が重なるのは、オリジナル版と同じ趣向である。

自身の強さに慢心気味だった三四郎が矢野に叱責され、修道館の稽古場として借りている寺の池に飛び込み一晩を過ごす有名なシークエンスも、そっくりそのまま描かれている。

その後、今度は試合であいまみえる事になった門馬を、必殺技「山嵐」で投げ殺してしまい、門馬の一人娘の復讐心に心乱れる三四郎。

さらに、警視庁武術大会で勝負する事となる、村井半助(加東大介)の健気な娘、小夜(九重裕三子)と知り合う事となり、またまた悩む三四郎。

しかし、玄沙和尚(左卜全)の言葉で迷いを吹っ切った三四郎は、猫の動きからヒントを得た受け身で、見事、試合に勝利する。(元祖ニャンコ先生?)
負けた村井の方も、全力で戦った満足感を三四郎に感謝しながら、その後他界する。

しかし、おさまらないのは、村井の弟子で、小夜にも恋心を抱いていた檜垣源之助(岡田英次)。

とうとう、すすきケ原で宿命の戦いの末、檜垣も又、三四郎に破れ去るのであった。

さらにその後、三四郎は一人旅に出るのだが、その留守中に、檜垣の狂気を秘めた弟二人、鉄心(岡田英次-二役)と源三郎(山崎努)が九州より上京し、恐るべき空手の力で兄の復讐を果たさんと、三四郎を待ち受けるのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

黒澤の名作「椿三十郎」「赤ひげ」などを連想させる、三船と若き加山による師弟コンビキャスティングなのだが、オリジナル正続二編の合体自体に基本的な無理があり、せっかく部分部分を丁寧に撮り直しているのに、全体的に長過ぎ、やや散漫な印象の作品に仕上がってしまっているのが惜しまれる。

特に、檜垣源之助との勝負の後のエピソードは、源三郎の異様な雰囲気、雪山での見事なロケ等、見どころもあるのだが、やはり蛇足的な印象は拭いきれず、今一つ、後半のカタルシスに繋がらないのが辛い。

主役、加山は、ちょうど「若大将」人気絶頂期という事もあり、劇中で、若大将よろしく歌を披露したり、おばあちゃん役の飯田蝶子と絡むシーンもちゃんと用意されていて、さながら「アイドル映画」のような趣さえ感じられる。
確かに、白い歯を見せてあどけなく笑う加山の姿には屈託がなく、それはそれで、かつて藤田進が演じたどこか無骨な三四郎像とは別の魅力があるのも確か。

ラストの雪山をバックにしての三四郎の勇姿は、さながら「アルプスの若大将」である。
スキーのシーンがないのがもの足らないくらい。

それでも、それなりに見ごたえ感はある大作の一本といえよう。