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切腹

1962年、松竹京都、橋本忍脚本、小林正樹監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

無気味な鎧飾りのアップから物語は始まる。

ある年の5月13日、井伊家の屋敷を一人のうらぶれた浪人者が訪れる。

その浪人は取次ぎの者(小林昭二)に、武士らしく死にたいので、玄関先を拝借して自害させてはもらえないかと願い出る。
当時、食いつめた浪人者が、そうした申し出をして、嫌がる屋敷側から、幾許かの金銭を受け取る行為が行われていたのである。

井伊家の家老、斉藤陰衛(三國連太郎)は、また、その手のたかりが来たと察するが、あえて、その浪人ものを屋敷に上げ、わざとらしく素性を尋ねたりする。

浪人者は、芸州広島、福島藩の配下、津雲半四郎(仲代達矢)と名乗る。

家老は、津雲に、同郷の縮岩元女(石浜朗)という若者を知らぬかと聞く。
津雲が知らぬと答えると、家老は、以前、そういう男が貴殿と同じように当家を訪れてきた…と、回想を始める。

縮岩の目的をたかりと見抜いた井伊家の家臣たちは、彼の刀が竹みつであるのにも気付き、からかう気持ちから、一旦は屋敷に上げ、風呂にまで入れさせ、あたかも、上に取り立ててやるかのようなそぶりを見せながら、仕官の期待に胸を弾ませる縮岩をあざ笑うかのように、早速、死に装束に着替えるように勧める。
実は、庭先で希望通り切腹するように準備を整えていたのだ。

しかも、自身の刀(竹みつ)で腹を切れと言う。

狼狽する縮岩に、家老をはじめ、介錯人役の主高彦久郎(丹波哲郎)らは、ネチネチと、逃げおおせる事はできぬようにけしかけて行く。

万策尽きた縮岩は、切れぬ竹みつで強引に切腹するはめになる。

その話を聞き終わった津雲、しかし一向に動ずる気配はなく、庭先の切腹の場に挑む。
そして、最後の願いとして、介錯人には、主高彦久郎を指名する。

しかし、何故か、当の主高は病気を理由に、屋敷には来ていない。

それでは…と、矢崎隼人(中谷一郎)、川辺梅之助と次々に指名するが、やはりどちらも不在。

さすがに、事の異常さに気付いた家老を前に、津雲は自分の身の上話を始める。

実は、当家で無惨な死を遂げた縮岩元女は、主君正勝(佐藤慶)に殉じて自害した、津雲のかつての盟友、縮岩陣内(稲葉義男)の遺児であり、自分の一人娘、美保(岩下志麻)と結婚させた、つまり、義理の息子であった。

元女と美保との間には、一粒種の欽吾が生まれたが、生活苦の中、美保も欽吾も病気になり、医者をも呼べぬ窮地に立たされる。

井伊家を訪れた元女は、最後の最後の手段として、そうした行為に及んだのであった。
夫の屍骸を見せられた美保は、赤ん坊と相前後して息を引き取った…という。

しかし、その話を聞かされた家老の方も動ずる様子はみえない…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

冒頭に登場する鎧飾りは、井伊家の家宝であると同時に、体面を重んじる武家社会の象徴でもある。
最後に、その鎧を盾に取り、畳に投げ付けて破壊する津雲の行為の意味する所は明らかだろう。

しかし、本作の視点は、決して、津雲の側だけに加担しているのではない。
家老の立場もきちんと描いている。
単なる「善悪の物語」「権威主義批判」などではないのだ。

冷徹な視点で「武家社会」を見つめた、リアリズム時代劇の傑作。