1966年、アルフレッド・ヒッチコック監督作品。
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アメリカの核物理学者マイケル・アームストロング(ポール・ニューマン)は、婚約相手で助手のサラ・ルイーズ・シャーマン(ジュリ−・アンドリュ−ス)とコペンハーゲンへ旅行中、突然行動を別にすると言い出す。
不審に感じたサラは、マイケルに隠れてその後を追う。
すると、マイケルは飛行機で向かった東ドイツにそのまま亡命者として迎えられてしまう。
愕然とするサラ。
しかし、隠密行動に随行してきたサラを発見したマイケルの驚きはそれ以上であった。
何故ならば、マイケルの亡命は、相手側から、核兵器を無力化するという新兵器の秘密を盗み出すための謀略活動だったからだ。
地方の農場で協力者に接触したマイケルは、尾行してきた保安部員のグロックに怪しまれ、やむなく、相手を殺害してしまう。
その後、何喰わぬ顔で、目指す大学教授リントに接近しようと試みるマイケル。
彼の行動を理解できず、どう対応して良いのか迷うサラの葛藤。
そんな中、グロッグの死体が発見され、警察がマイケルを捜しはじめる。
現地の協力者たちが、マイケルとサラの二人を、何とか国外に脱出させようと計画を始める。
マイケルは、無事、新兵器の秘密を手にする事ができるのか?
二人は、無事、国外へ逃げ切れるのか?
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物語中盤以降は、この強烈なサスペンスで一気に最期まで引っ張って行く。
ピンチに次ぐピンチの連続。
この辺の演出は見事というしかない。
ただ、そうしたハラハラドキドキの演出に対し、ポール・ニューマンやジュリ−・アンドリュ−スの役者として魅力がうまく生かされているか?…といわれれば、正直首を傾げざるを得ない。
前半は、何も知らない観客の代理として、サラの視点で描かれているが、途中から、完全に、追われる中心人物であるマイケル主体の視点になってしまうため、サラの印象は弱まって行く。
ポール・ニューマンはともかく、ジュリ−・アンドリュ−スにとって、本作への出演はプラスとなったのであろうか?
その辺の判断はともかく、サスペンスものとしては、60年代に流行った「スパイ活劇」のヒッチコック流アレンジ作という意味も含めて、良く出来ていると思う。
マイケルが亡命する所から登場する、アクの強い踊子役の女優が、最期までうまく使われている。
