TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

1963年、ダフネ・デュモ−リア原作、アルフレッド・ヒッチコック作品。

テレビシリーズ「ヒッチコック劇場」のスタッフの協力を得て、低予算作品として作られながらも、その大胆なアイデアから大ヒットした「サイコ」の後に、前作以上のインパクトを意図して作られた、動物パニックものの傑作。

改めて観返してみると、登場する女性陣たちが一人一人、個性的と言う以上に、ちょっと風変わなキャラクターとして設定してあるのが面白い。

裕福な身分らしく、その美貌とも相まって、ちょっと世間を舐めているように見える、悪ふざけが好きな主役メラニー・ダニエル(ティッピ・へドレン)は、そのいたずらによって被害を被り裁判闘争中のミッチ・ブレナー(ロッド・テイラー)から、冒頭のペットショップで、その悪癖を指摘される。

ミッチの母親リリー(ジェシカ・タンディ)は、神経質で口煩いばかりでなく、ちょっと眉間のしわに他人を見下しているような様子が伺える。

ミッチと昔付き合っていた関係ながら、母親との折り合いがうまく行かず、別れた後も、その村に教師として住み着いているアニ−。

さらに、異常に鳥の事に詳しい女性学者や、迷信深い村の女性たち。

彼女たちは皆、鳥襲来と言う、天のいたずらのような異常事に遭遇し、精神的なショックから、アイデンティティというか、従来の心の殻をずたずたに壊されてしまう。

それに対し、男性陣は、ただ狼狽する姿や、防衛に走る様子が客観的に描かれているだけで、内面描写はほとんど描かれていない。

さらに注目すべきは、女性たちは、その異常に際し、サスペンスものやパニックものに良くありがちな「悲鳴、絶叫」の類いをほとんど発してない。この辺の演出は、さすがだと思わざるを得ない。

例えば、学校の生徒たちと共に、からすの攻撃から逃げ込んだレストランで、新たなカモメの攻撃を見守るメアリ−。
ガソリンスタンドが炎上する所から始まる一連のパニックシーンを、彼女は「ストップモーション」のように固まって窓から見つめる。(実際のストップモーションではない証拠に、彼女の後ろの人物たちは、普通に動いている)

家に閉じこもろうとするミッチの作戦に、意義を唱える母親リリーのヒステリックな表情が、突然アップで描かれる不気味さ。

恐怖の余り、嘔吐感を訴えるミッチの妹キャシーのリアル感。

深夜、アニ−の家のドアにぶつかって死んだかもめを発見したシーン。
アニ−「可哀想に…。真っ暗で、前が見えなかったのね」
メアリ−「どこが真っ暗なの?すごい満月じゃない…」

この辺の余韻を持たせた恐怖描写などは、60年代に流行っていたテレビミステリーシリーズの雰囲気そのままである。

一見、特撮(合成)に頼った見せ物映画として語られがちだが(確かに、そういう要素もある)、本作に関しては、十分に練り込まれた脚本の面白さ、ヒッチコック特有の非凡なサスペンス演出を再認識すべきだろう。

何度観ても、新しい発見があるところが凄い。