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醜聞 すきゃんだる

1950年、松竹大船、黒澤明監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

オートバイで、山に絵を描きに来た新進画家の青江一郎(三船敏郎)、3人の山の老人たちに絵の講釈をしている。
そこへ、軽やかな歌声と共に、美しい女性が通りかかり、老人に道を尋ねる。
ついでだからと、自らのオートバイに乗せ、彼女を宿まで送った青江、風呂上がりの途中、彼女の部屋に挨拶によった所を、たまたま、彼女の後を追跡していた風俗雑誌の記者に写真を撮られてしまう。

彼女は、有名な声楽家、西条美也子(山口淑子)であったため、雑誌社は、写真に写った二人の関係を恋愛スクープとして、扇情的な文章と共に売り出してしまう。

それを知った青江、直接、雑誌社へ乗り込み、編集長、掘(小沢栄)を殴ってしまう。
そして、雑誌社を訴えてやると意気込む青江。
だが、美也子の方は、これ以上、世間の晒しものになるのを恐れ、裁判ざたにする事には二の足を踏んでいた。

そんなある日、モデル(千石規子)を描いていた青江のアトリエに、一人の風采の上がらぬ中年男が訪れる。
蛭田乙吉(志村喬)と名乗るその男、青江の裁判の弁護士に雇ってくれと言い出す。

後日、蛭田の人品を査定する目的もあって、その自宅を訪ねた青江、そこに、結核で寝たきりの娘、正子(桂木洋子)を発見する。
純粋で、美しい心を持ったその少女の姿に打たれ、青江は蛭田に弁護を頼む事にする。

ところが、当の蛭田、実は、訴訟相手の掘の所へ出かけ、強請りたかりのような真似をする。
しかし、敵の方が上手で、ギャンブル好きでだらしない蛭田の本性を見抜き、まんまと蛭田を買収してしまう。

クリスマスの日、ようやく、自分も訴訟に参加すると決意した美也子と青江は、二人して、病床の正子を見舞うのだった。

そんな楽し気な家族の姿を、酔って帰って来た蛭田は覗き見、自らのだらしなさに愛想をつかし、その場を逃げ出してしまう。
彼も、一人娘の正子の純粋さだけが、心の支えなのだが、長年に渡って荒んで来た心は、立ち直るきっかけをつかめないまま裁判の日を迎えてしまう。
蛭田はきちんとした弁護士としての役目を果たさず、青江たち原告二人は窮地に立たされる。

正子は、自分の父親が、良からぬ不正を働いているのでは…と疑い、優しく見舞う青江を拒絶するようになってしまう。

裁判の行方はいかに?…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

今でいう「マスコミ被害」を素材にし、人間として堕ちてしまった一人の中年男の、絶望と苦悩を描く内容となっている。志村喬が「生きる」と同じような名演を見せる。

蛭田の娘、正子が「天使」というか、「良心の象徴」のような役割を果たしているのが、美しくも物悲しいファンタジーを観ているようで泣かせる。

クリスマスの日、家から逃げ出した蛭田と、その後を追った青江が立ち寄ったキャバレー。
1950年を迎える来年こそ、自分は生まれ変わってみせる!と息巻く酔っ払い(左卜全)と共に、蛭田を中心とした客全員が「螢の光」を唄って涙する所は、観ているこちらもジーンとしてしまう名シーン。

人間の善意を優しく見つめる黒澤の視点が心を打つ、珠玉の名作。
裁判ものとしても、優れた作品になっている。(この当時は、裁判所の内部にニュースキャメラが堂々と入っているのが、今観ると珍しい)