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忍びの衆

1970年、大映京都、森一生監督作品。
原作は、司馬遼太郎「伊賀の四鬼」。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

城に忍び込み、小判を盗み出そうとする一人の忍者に、突然、もう一人の忍者が襲い掛かる。
二人は、伊賀忍者「音羽の城戸」の元で育って来た忍び仲間、きじろの与四郎(松方弘樹)と、鬼こぶ(峰岸隆之介=現、峰岸徹)であった。

鬼こぶは、忍びとは盗む事と考えている男、それを諌める与四郎は、織田信長によって家族郎党を惨殺された過去に対する復讐心を捨てきれない。

そんな織田信長の妹「お市の方」(藤村志保)を、鉄壁の忍び返しが備わっていると噂される「北ノ庄城」より連れ出せという命令が、豊臣秀吉(戸浦六宏)から音羽の城戸に下される。
先に送りだした20名の忍者が一人も戻らぬ…というのであった。

とても無理な指令と、幼馴染みこゆみ(南美川洋子)は反対するが、与四郎は黙って出発する。
その後を、鬼こぶも追い掛ける。

さらに、幻術を使うくノ一、「ほおじろのおりん」(安田道代)と、名張の助太夫(本郷功次郎)が加わる。

途中、森の中で大量の死体を発見。
先に送り込まれた忍者たちだと分かった。
全員、足の裏を深く十字に切り裂かれている事から、死霊に追い掛けられないために施された古い忍者の習慣を持つ人物の犯行だと推測された。

一人の人物の名が助太夫の口から発せられる。
百歳にならんとする、その人物の名は、あらゆる人物に変身できる伝説の伊賀忍者「愛染明王」!

与四郎と鬼こぶは、そんな怪人物が待つ北ノ庄城に潜入する。
しかし、次々と襲い掛かる忍び返しの罠。
とうとう、鬼こぶは、落とし穴に落ちてしまい、与四郎もまた、同じく別の落とし穴に落ち、砂攻めのピンチ!

その窮地を救ったのが、一人無断で、与四郎の後を追って来たこゆみだった。
しかし、そのこゆみの正体こそ、あの「愛染明王」その人であったのだ!
ふいをつかれ、愛染明王が放った紅蓮の炎地獄に苦しめられる与四郎。
炎の向こうには、たくさんの腕を持つ「明王」の幻影が踊っていた…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

市川雷蔵亡き後、彼の人気シリーズの一つだった「忍びの者」を継承した形のモノクロ作品である。

愛染明王と戦う音羽の城戸を描いた、ごく短い原作をベースに、かなり自由に話を膨らませている。
本作に登場する4人の忍者たちは、全て映画のオリジナルである。

本作を見る限り、この翌年に倒産する運命にある、当時の大映京都のスタッフのレベルは決して落ちていず、「忍びの者」シリーズの名に恥じぬ、見事な画面構成で陰影のあるリアルな忍者像を本作でも作り出しているのに驚かされる。

ただ残念ながら、物語途中で原作のイメージは使い果たしてしまい、その後は全くのオリジナル展開になっているために、前半持っていたスピード感や奇想天外さが、後半失われてしまうは確かである。

どこか、物悲しいラストも、このシリーズらしくて、決して悪くはないのだが…。

それでも、どこか本作と似たイメージを持つ最近の忍者映画、例えば「梟の城」とか「RED SHADOW 赤影」などとは、比べ物にならない程、緊迫した映像がそこにある。

随所にちりばめられたリアルな忍びの術や奇想天外なアイデア、シンプルながら熟練の境地にあるトリック撮影の妙技、松方弘樹は、さすがに「伊賀の影丸」(1963)当時の坊や坊やした甘い愛らしさは失われているが、存在感のある若者像を演じ切っており、初々しい峰岸徹と共に本作の魅力を生み出している。

安田道代の存在感も大きい。

末期の大映京都の魅力を伺い知る事ができる、貴重な娯楽作の一本だと思える。
忍者映画ファンは必見であろう。