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戦国無頼

1952年、東宝、井上靖原作、黒澤明脚本、稲垣浩脚本&監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

天正元年、琵琶湖の湖畔にある小谷の城主、浅井の家臣たちは、織田勢に追い詰められていた。
疲れ切って座り込む家臣の群れの中で、城と共に討ち死にするか、逃げるか話し合っている三人の侍。
佐々疾風之助(三船敏郎)、鏡弥平次(市川段四郎)、立花十郎太(三國連太郎)である。

物語は、この三人の、この後の波瀾に富んだ数年間を描いていく。
疾風之助を慕って一人城を訪ねて来た、かの(浅茅しのぶ)を、城から逃げたがっていた十郎太に付き添わせ逃がしてやる疾風之助。
十郎太は、研ぎ師宗治(志村喬)の元に身を寄せている間、いつしか、かのに恋心を抱くようになる。

その疾風之助は、攻めて来た敵との戦いで傷付き倒れている所を、一群の野武士一族に助けられる。
首領(東野英次郎)の一人娘、おりょう(山口淑子)が、彼に惚れ込んだからであった。

しかし、疾風之助は、そんな一途な娘の心を察し、自分達の元から去れと警告しに来た首領ともみ合いになり、逃げるようにその場から姿を消してしまう。首領は自らの剣で命を落としてしまったのであった。

親の仇と恋心の両方の気持ちを抱きながら、おりょうは琵琶湖の水上で、別の野盗の船と交戦し、自らは人質となってしまう。
そんな彼女を救ったのは、敵盗賊の首領になっていた鏡弥平次。
おりょうが探し求めている男が、かつての盟友、疾風之助である事を知って驚愕するのだった。

やがて時が過ぎ、疾風之助、野心に燃える十郎太の両名は、織田と武田との戦いに、各々敵味方となって参加したりしていた。
疾風之助を捜し歩くおりょうは、いつも疾風之助とは眼と鼻の先まで接近しながらも、その度事に、すれ違ってしまう運命であった。

さらに時は過ぎ、丹波の城に、「疾風」と書かれた旗指物を背負った侍がいるとの噂を聞いた、かのとおりょう、二人は互いに疾風之助を求めて旅立っていく。
さらに、十郎太と弥平次も、丹波へ向かうのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

おそらく、井上靖の原作は面白いのではないかと想像されるが、この映画ははっきりいって成功していない。

黒澤明の脚本というのが、にわかに信じられないほどである。

波乱万丈というよりも、大長編のダイジェストを観ているような…というか、めりはりのない散漫なエピソードの羅列のようになってしまっている。

本作で印象に残るのは、山口淑子演じる一途な女、おりょうの姿。

逆にいえば、彼女以上に、主役であるべき疾風之助はじめ、男性陣の魅力が描き切れていないように感じられる。
そのために、何故、おりょうやかのが、そんなに疾風之助に惹かれるのかが、こちらに今一つ伝わってこないのだ。

一応、「何か、遠い所を目指している疾風之助の眼に憧れる…」というようなセリフは、おりょうの口から出るのだが、映画としては、説得力があるとはいえない。

原作の魅力を消化し切れていない印象が残る。
巨匠、黒澤や稲垣にしても、時には、こういう事もある…という事であろう。

長篠の戦いを始め、それなりに見ごたえがあるシーンが登場するのが、せめてもの救い…というべきか。