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さよならジュピター

1984年、イオ+東宝映画、小松左京原作+脚本+総監督、橋本幸治監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

西暦2125年、地球上の人口は180億、宇宙には5億人の人類が進出している時代。

火星の極冠部分の氷を融解させる計画を実行中、「ナスカの地上絵」そっくりの文様を発見。

一方、自然保護団体「ジュピター教団」による執拗な妨害工作に悩まされながらも、「木星太陽化計画」を推進中の本田英二(三浦友和)とミリセント・ウィレム博士は、木星上で、ジュピターゴーストと呼ばれる謎の巨大物体と遭遇します。

そうした中、英二の親友、キャプテン・キンと、ウィレム博士の憧れの人であった井上博士(平田昭彦)を乗せた調査船スペースアローが、太陽系に接近しつつあるブラックホールに破壊され、地球は未曾有の危機を察知する事になるのでした。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

普通に考えれば、このスペースアローの破壊シーンから映画は始まり、太陽系規模の危機に奔走する人類の戦い…という展開になりそうなのですが、この作品では、ブラックホールの遭遇までに全体の半分くらいの時間を費やしています。

では、冒頭の「ファースト・コンタクト」風の設定が、何か、物語後半にからんでくるのか?…といえば、そうでもないんですね。

2つの大きなテーマを混在させたにしては、こなし切れていないのです。

また、英二の元恋人であり、今はジュピター教団にいるマリアなる人物の描き方が弱すぎるのも、致命的のように思います。

どう観ても、意志も頭脳も弱い、愚かな女性にしか感じられないのですよね。
これは、一つには、「ジュピター教団」なる組織の意味合いがうまく伝わってこない所にも原因があるのではないでしょうか。

単なる「悪の狂信組織」でもないし、かといって「もののけ姫」での巴御前たちのように、主役とは違う立場でありながらも共感してしまう部分を持った一団…という風にも見えない。(小松さんは、後者のように描きたかったのかも知れませんが)

画面上では、単なる無責任なヒッピー集団みたいにしか見えないんです。(何で生計を立てているのかもさっぱり分かりませんし)

この辺の処理が成功していないために、そうした集団に無自覚に所属しているマリアへの愛情を断ち切れないでいる英二にも、今一つ感情移入し難いですし、観終わった後、(ラスト、浜辺に佇む教祖ピーターの姿を観せられても)観客側には何の感慨も葛藤も涌かないんです。

海で鮫に襲われ死んだイルカのジュピターと、爆発する木星と運命を共にするジュピターゴーストを感傷的に重ね合わせようとするクライマックスの処理にも、あまり感心しません。
イルカと杉田二郎とユーミンの組み合わせでは、大衆的というより、凡庸すぎて説得力がなさすぎます。

今考えると、小松さんは「宇宙版もののけ姫」みたいなテーマが描きたかったのかな?という感じもしないではないですが、意余って力足らず…といった所でしょうか。

まぬけなシューベルトみたいに見える地球連邦大統領、森繁はかなり情けないですが、マンスール博士役のファンファン(岡田真澄)は渋くてなかなか良いです。

こうしたSF映画の宿命とはいえ、モニター類(角が丸い)に描画される、当時のコンピューター画像の表示速度が、今観ると異常に遅いのが気になったりもしますが…。(涙)