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野獣死すべし

1959年、東宝、大薮春彦原作、白坂依志夫脚本、須川栄三監督作品。

冒頭、飲み屋で談笑する3人の刑事達。
その一人、岡田進刑事が帰宅途中、突然何者かに射殺され、車のトランクに詰め込まれます。
走り去る車から、岡田刑事が子供のみやげとして買っていた、「ロビーロボット」のブリキのおもちゃが転がり落ち(このロボットが、冷酷な犯人像を暗示している訳です)、路上を歩き始め、そこに縦の大きな活字文字でタイトルがかぶさります。

その犯人は、路上駐車してある他人の車を、幾つもの合い鍵で乗り換え、巧みに犯行現場から逃走します。仲間を殺された2人の刑事、勘に頼る古いタイプ、東野英治郎と、経験は浅いが、戦後の合理的な考え方をする小泉博は、懸命の捜査を続けますが、犯人像はようとしてつかめません。

関東大学、文学部の大学院生、伊達邦彦(仲代達矢)は、アメリカ帰りを鼻にかけ、マスコミの寵児となっている教授(中村伸郎)のゼミ中でも卓越した秀才で、かつ、射撃部では抜群の腕を誇るだけではなく、ボクシングなど他のスポーツも万能の真面目な青年。
その貧しさを哀れんで、教授も何かと目をかけています。(実際は、伊達の才能を利用しているだけ)

しかし、それは、伊達の表向きの顔。
実際には、混乱した時代を生き残るには「野獣」のように強くなくては生き残れないと、冷酷な殺しを繰り返しては金を溜め込んでいる裏の顔があったのです。彼にとっては、人間の「情」などというものは唾棄すべきものであり、飲み屋で花を売っていた貧しい老婆に、札ビラを見せつけ、花を全部買っただけではなく、その場で歌って踊ってみせろと詰め寄ります。

そんな異常な姿を偶然目撃した、刑事の小泉博は、少しづつ伊達に注目し始めるのでした。
伊達は、もうすぐアメリカに留学するといいます。それまでに尻尾をつかもうとする刑事、小泉。
伊達は、留学費を稼ぎだすために、大きな犯罪計画を実行します。

完全犯罪は達成出来るのか…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

トレンチコートにソフト帽スタイルの美貌で冷酷な犯罪者…とくれば、ははぁ、これは、アラン・ドロンの「サムライ」などのフイルム・ノワ−ルに影響された作品か?…と思っていたのですが、「サムライ」は1967年、この作品は1959年作、何と10年近く前の作品です!

若い仲代が素晴らしいだけではなく、次々に冷酷かつアイデアに満ちたサスペンスシーンが続き、「殺しの烙印」に勝るとも劣らない出来だと思います。

この秀作をものにした須川栄三監督が、1974年に自分自身で脚本も書き続編を撮っているんですよね。

「野獣死すべし/復讐のメカニック」がそれで、伊達(藤岡弘)はアメリカから帰ってきて、大学の講師になっています。(最初の作品での、含みのある素晴らしいラストが台無し…!)

新たな事件を追い掛ける事件記者に黒沢年男、事件関係者に村井国夫、加藤嘉、小松方正など、魅力的な役者さん達が出ているのですが、70年代という事もあってか、「非情」なはずの伊達が、何と殺された自分の父親の復讐をする…という、実にありきたりの展開になってしまっているのです。(やたらと官能シーンが続いたり…時代を感じます)

戦後の貧しさが残っていた50年代には、説得力があった伊達の考え方やキャラクターも、70年代にはもう合わなくなっていた…という事もあるでしょうが、やはり、監督さんの感性のおとろえも感じてしまいます。

まだ、別の監督(村川透)さんが撮った、松田優作さん版の角川作品(1980)の方がマシだったように思えます。