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写楽

フランキー堺主演の傑作「幕末太陽傅」(1957)を撮った監督、川島雄三の次なる野望は、同じくフランキー主演での「写楽」の映画化であった。
当然、フランキー自身も、その実現を待ち望んでいたのだが、川島監督は夭折し、企画は立ち消えとなる。
しかし、フランキーの「写楽」映画化に賭ける執念は時を越え、ようやく、篠田正浩を監督に迎え実現させたのであるが、哀しい事に、すでにその時点でフランキーは、主役「写楽」を演じるには老け過ぎていたのだった…。
もともと、娯楽作家タイプではない篠田監督の演出だけに、デジタル技術などを利用した、江戸の風景描写などには多少見るべき部分もあるが、ストーリー的に盛り上がるような作品にはならなかった。
ここでは、「写楽」の正体に関して、2つの説が採用されているが、どちらも「もっともらしく」はあるが、衝撃感は希薄である。
結局、本編で蔦屋を演じたフランキー堺が、実は「写楽」だった…とか、そのくらいのけれん味が欲しかったようにも思える。(その説も実際にあるのだから…)
ほとんど、半生を賭けて、実現化に奔走したフランキーの執念を思うと、この作品の出来の中途半端さには、暗胆たる気持ちさえ抱いてしまうほどである。
しかし、翻って、この企画を成功させそうな監督が他にいるか…と考えると、これといった人材が思い付かない所に、現在の邦画事情の哀しさが潜んでいるようにも思えてしまう。
ストーリーを追うというよりも、江戸の雰囲気を楽しむ…という見方をすれば、それなりに楽しめないではないのかも知れないが…。