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推定無罪

主役が、身に覚えのない物的証拠を突き付けられ、殺人の被告人になってしまう…という設定自体は、良くあるサスペンスのパターンなのだが、この作品も、その典型例といえよう。
普段は被告を追求する側の検事補当人がその立場に陥る…という点が、多少の目新しさ…というべきか?(しかしミステリーでは、驚くほどの独創とも思えない)
同僚の女性検事補の殺人を担当した、主役ハリソン・フォードは、彼女と愛人関係であった事がバレ、一転、不利な立場に追い込まれる。
しかも、裁判において、彼にとっては決定的ともいえる物的証拠を突き付けられ、もはや一切の言い逃れは出来ない状態になるのだった…。
大体ここまでで、映画としての時間経過は、30分経つか経たないくらいであろう。
そして、『大半の大人にとっては、この時点で真犯人が推定できるはず』なのだ。(ハリソン・フォード自身が真犯人でなければ…だが)
それは、特にミステリーマニアとかの特殊知識がなくとも…である。
よって、この後の時間は、何故、主役ハリソン・フォード(捜査のプロ)が、その「自明の理」に気付かないのか、観ていて不思議でならない状態になる。
つまり、この作品が、ミステリーとして「面白い」…と感じる人は、最初の段階で「単純な事実(別にトリックではない)」に気付かなかった人だというしかない。
言葉を変えていえば、この作品は「被告にされた主役」がすっかり動転してしまい、「ごく普通の判断力さえなくしてしまった」状態を見せられているもの…とでもいうしかない。
そしてそれは、映像的にはひどく退屈なのである。(観客には、客観的な立場から、真実がほぼ見えているのだから…)
いわゆる「謎解きタイプ」のミステリーを原作にした映画で、傑作と言えるものは皆無に近いが、この作品もその例にもれない凡作であろう。
教訓…「あまりに決定的過ぎる証拠は、諸刃の剣」