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電送人間

1960年、東宝、関沢新一脚本、福田純監督作品。


「変身人間もの」の一本。
白昼の遊園地のスリラーショー(お化け屋敷)内で、軍隊の認識表を持った一人の男が、銃剣で刺し殺される事件が発生する。
新聞社の文芸部科学担当の霧岡(鶴田浩二)は、現場で謎の金属片を拾い上げ、級友で警視庁勤務の小林(平田昭彦)らと共に、事件を追求していく。
14年前の終戦時、長野で起きた事件の関係者には、皆、認識表が送りつけられており、まもなく、彼らの前に、不気味な電送人間が出現して、一人づつ、復讐を果たしていくのだった…。
いわゆる「物質転送」をテーマとしたSFサスペンスであるが、怪奇性は薄く、展開も、どちらかといえば普通の警察捜査ものに近く、特撮的な見せ場にも乏しく、今一つ印象が弱い作品である。
終わり方も御都合主義の展開で唐突過ぎ、余韻も稀薄なのが残念。
しかし、この作品で注目すべきは、電送人間の表現であろう。
動く人間像に、テレビの走査線をダブらせたようなビジュアルは、後年、あの「スター・ウォ−ズ」でお馴染みとなったホログラフ映像にそっくりである。
日本のSF映画などに詳しかったルーカスは、ひょっとすると、この作品から、あのビジュアルのヒントを得たのではないか?
そうした事も加味して見直してみると、面白い作品かも知れない。