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懐 か し の 古 川 そ の 八





 

 ちらほらと感想がホームページ構成担当から届くようになって、励みが出てきた。

 昔から単純な編集担当なのであった。

 さて、六本木の佐々木さん、黒木さん、お待たせしました。

 今回は古中周辺と現在の緒絶川の特集です。

 さてはまず、当時の古中を。

 これは古いと言っても、大した古いもんではありません。

 たかが、30年ちょっと前の写真であります。

 これまでの写真から比較するとぐんと新しいものです。

 では古中から。

懐かしい古中です。

この古い校舎。もうないんです。

奥に見える体育館ですら、立て替えられて、ちょっ

とショックです。

にしても古中は新しいのに、隣りの第一小は歴史的

な建物を今もそのままに目にすることが出来ます。

 

 

 

 少し小さいのですが、当時の古中の面影

が写っています。

 もう感涙ものです。

 ざっと30年前の写真です。

 今年成人式の子等はまだ生まれてもいま

せん。

 パソコンだって発売されてません。

 この頃だと電卓、それも桁2万くらいの

値段でしょう。

 とんでもない時代です。

 とここまで叩いたところで、何と古川市が似たようなコンセプトの展示会をするという。

 クラブでも使用した写真が何点かあります。

 会場は文字通り『緒絶の館』であります。

 これでまた、耳目が緒絶川に集まります。めれたし、めれたし。

 それでは予定通り、現在の緒絶川を古中から金毘羅様までご覧ください。

 順番は、現在の古中。そして、古中から金毘羅様までの現在の緒絶川を紹介していきます。

 今回は言うなら緒絶川今昔スペシャルのようなものです。

 ではご覧ください。ただし,その8は画像が50枚を超えます。覚悟して見て下さい。

 ダウンロードには時間がかかりそうですが,お付合い願います。

   

  まずは校門から校舎と体育館を。何と昔奥に合ったはずの体育館が手前にドーンと建ってます。

 

   

  左手奥の建物は小学校の体育館です。右手に見えるのは当時の新校舎今では一番古い校舎となってます。右の写真の三階建ての建物は特別教室で,左手に少し写っているのは部室です。かつての体育館の面影などすっかりなくなってます。 

 

   

 これが校舎です。ここに昔は木造二階建ての建物がありました。ちなみに編集担当は木造の二階の左から二番目の3年11組に在籍しておりました。休み時間がたった10分。守備範囲は12組から6組くらいで,その先へはなかなか行けるものではありません。ですから,今でも顔がはっきりしない同級生は多いのです。約500人。多いですね。11組の全員の顔は思い浮かびます。連絡先も何とか押さえています。既に物故者が2名,一人は不明です。さて,右手は昭和40年代前半に寄付で建てられた武道館です。当時3年生の私は寄付だけ取られて,使用出来ないという運命でした。(金を出したのは親ですし,使う気もありませんがね………。)

 

  

 校門から片方医院を見てみます。中央左から横に流れるのが緒絶川です。右の写真はこの校門が遊佐外科の寄付により建てられたことを記載しているものであります。

 

  

 古中から北を見ます。緒絶川はここから上流へ続きます。ただし,通常街の人が緒絶川と呼ぶ場合,この辺からです。右の写真は古中前の橋から南へ続きます。今回は金毘羅様まで,通常緒絶川と呼ばれる範囲までの映像です。

 

   

 同じ場所から第一小学校の校舎を見ます。この校舎は今も昔も変わりません。では再び緒絶川へ。

 

   

 左の写真,正面に見えるのが藤棚です。ここには数箇所の藤棚があり,季節には美しい花をつけています。右の写真の正面には市役所が小さく見えます。第一小学校が右手に見えてくる頃です。

 

   

 第一小学校の南校舎,階段の段差の低い女校舎です。右の写真はこの校舎の建設に関することが記載されている石碑です。何故か一部削られているところがあったりしてなかなか興味深いものがあります。一説には基金を積み立て,云々という記述がありますが,果たしてその積み立て金は,貨幣価値が変わったとしても相当な金額になる筈では………………。

 

   

 いわゆる男校舎です。昔は着物ですから,配慮していたんですね。男尊女卑なんていうけど,どうしてどうして,ちゃんと考えていたんですよ。右の写真は第一小学校の新校舎です。昔ここには立派な講堂が建っていました。学芸会や卒業式はそこでやったもんです。

 

   

 正面から新校舎を。中央に見えるの象徴だった大イチョウです。昭和54年の大風で一度は折れてしまったのですが,ここまでまた大きく育ってます。こちらは築山です。昔は当然ありませんでした。

 

   

 二宮尊徳の銅像(台座のみ)です。昔はあったと記憶するのですが,何故外されたのでしょうか? さあ,緒絶川に戻りましょう。第一小から出て再び川沿いに移動します。

 

   

 役所の方へ移動します。

 

   

 橋平の酒蔵です。右の写真は緒絶の館です。それにしても川が狭くなっているのが分かります。

 

   

 鯉は汚い水に棲みやすいといいますが,本当に緒絶川の鯉はぶくぶくと編集担当のようです。少しダイエットした方がいいかも。

 

   

 緒絶の館側から緒絶川を見ます。正面には柳の木が見えます。右の写真は右京太夫の句を復元したもの。本物を撮ろうとしたのですが,どこに消えたのか見えませんでした。或いは後ろの方に遠慮がちにある石がそれかもしれません。

 

   

 緒絶橋をわたります。右の写真は振り返って何度も紹介した緒絶の館(新館)をパチリ。思い出の多い建物です。

 

   

 ここから緒絶川は二つに分かれます。しかし,みんなが緒絶川という場合,直進し,右へ行くと荒川と呼ばれるようになります。右の写真奥の橋から灯篭を流すのです。また,その昔花火大会でロケット花火などを打ち出すのもここがスタートでした。

 

   

 前回もこのへんのカットを紹介しています。右の写真は藤棚と藤の湯です。藤の湯の名の由来は藤棚にあるようで,市史にもページを割いて解説をしているようです。銭湯の老舗でもあり,いわゆる銭湯としては古川唯一であります(最近出てきているスーパー銭湯などをのぞく)。

 

   

 思わずおいしそう,と言ってしまいたいような大きい鯉です。

 

   

 いよいよ緒絶川の旅も終わりに近づいてきました。急ぎ足で30分。ゆっくり散歩するなら,1時間位でしょうか? 緒絶川は緩やかに右手南側に流れます。

 

   

 珍しい親子連れかと思う三匹です。右の写真は金毘羅様です。

 

    

 これまたおいしそうな鯉です。本当に大きいです。これで体長七〜八十センチはあるでしょうか? 大きいですよ。本当に。さて,緒絶川の終点です。

 

   

 この支柱はおそらく当時県の観光課が奥の細道観光キャンペーンか何かで立てたもではないかと想像します。ここは丁度バイパスが出来た頃ですから,なるほどと勝手に頷いたりします。さて,右の写真が金毘羅様です。街のど真ん中とは思えないようなうっそうとした木々です。

 

   

 金毘羅様のアップです。

 長い長い旅でございました。お疲れ様でした。

 結構ロードに時間がかかったと思います。

 お付合いいただきありがとうございました。

 ご満足いただけましたか?

 なお,編集担当もメールアドレスを取得する事が出来ました。

 よろしければ直接ご感想を。

 mnp@d1.dion.ne.jp

では最後の一枚です。これは古川あの頃あの場所でのポスターに使われた写真と出来るだけ同じショットを心がけて撮ったものです。こんなに変わってしまったんですね。

  それでは次回にまた。




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