サブタイトル

懐 か し の 古 川 そ の 六





 一人でも見てくれる人がいるならネタの続く限り取材し、発表しようと思う。
 なんてね。
 まずは前回の間違いから。
 この記述『懐かしい写真が出てきた。陸前古川町西館早坂商店と読める。さて,問題はこの西館だ。
既に西館にはこの早坂商店なる店はない。』
 と続き、最後はこう結ぶ。
 『残念ながら早坂商店の文字は何処にも見ることが出来ない。
 さて,もう一度古い写真を見て欲しい。屋号の前に傘に大の文字が見てとれる。
 このマークどこかで見たような気がする。
 捜して捜して,歩き回った。そしてそれは意外なところにあった。
 次の写真を見て欲しい。』


 

 『どうだろうか? 屋号が商店から屋に変わったこと。それに扱い品目が変わった事を省くと極めて似ていないだろうか?
 もう一枚見て欲しい。どうだろうか?
 ここは七日町である。』

  という訳で前回紹介したこの写真は実はここの写真であった。

 この古い写真、そして写真の説明をみてほしい。

 そして前回の証拠としてあげたマークまさしくそうなのだ。

 つまり前回は早坂商店はまったく別のものということになる。

 早坂屋こそがあの場所にそのまま建っているのだ。

 それでは前回の早坂商店はどうなるのだろう? 既に西館にその面影がないのは前回を見ていただ

ければ分かる。

 そこ後古老に確認をすると、確かに西館にその商店はあ・っ・た・と言う。

 通称『ハヤヘ』と言ったらしい。

 戦後8年後の編集担当が分からないくらい古い話なのだ。

 昭和は本当に遠くになってしまった。

 さて、次の写真を見てほしい。

 電話が24番、駅前大西菓子店と読める。


  

 さて、ニチイの駐車場を中心に数枚とってみた。

 しかし、大西菓子店なる店は既に看板はない。

 駅前は新幹線開業に伴う、区画整理が行われ、その街並みを以前とは異なるものとしている。

 それは前に取材した古川旅館でも同じことである。

 こうして、残念ながら小西菓子店は見つけることが出来なかった。

 今回の最後の古い写真を見てほしい。

 昭和初期で車はこんなもんだったのだ。

 未舗装の砂利道。そう言えば七日町も未舗装で、走って来る車を見て直前横断をするのが未就学の我々の遊びの一つだった。

 この『一力』は覚えがある。

 ただし、前述の理由で現在の駅前にはない。

 それではどこに。

 ここに………。

 

  

 駅から少し離れたところに一力タクシーは移転していた。

 新幹線の高架橋の下である。

 奥に見えるのが会社である。

 次がホテルプラザの遠景。逆光で非力なQV11では荷が重い。右の写真は創造センターを遠景で見たの

だが、やはり逆光でよろしくない。

  

 次の写真は現在の駅前を象徴する一こま。居酒屋とサラ金である。

 これでは朝倉文夫先生の像が泣いていると揶揄されるのもいたしかたのないこと。

 この台東区からのプレゼント、設置き場所に不満を抱いている方も多いと聞く。

 そもそも場所が分からない程度ならいいほうで、その存在すら知らない人も多い。

  

 左がステーキ宮、右は駅前商店街。

  

 同じく駅前商店街である。日曜日にシャッターが下りているところもある。

  

 既に駅前も七日町と同じ道を辿り始めたのだろうか? ………………。



 さて、このタイトルに使われている鯉であるが、その昔の緒絶川を知っている人は不思議に思うだろう。

 かつて緒絶川で獲れたのは鯉ではなく、うなぎであったのだ。

 それが何故タイトルで鯉なのか?

 それは汚れすぎた川にある。

 少しでも川を奇麗にしようと鯉の放流が計画され現在に至っている。

 冬は別な場所で過ごすが、過保護のせいか、みな丸まると太っていて、可愛いというより「おいしそ

う」ともらす子どもいるとか?

 以下緒絶川の鯉。

  

 それでは次回にまた。




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