サブタイトル

懐 か し の 古 川 そ の 参





 緒絶川今昔なのに今回も裏町を捜して歩く。
 懐かしの古川その3、サブタイトルはメインになる。
 ここに一枚の古い写真がある。


 この写真は読んでそのとおり菅泉酒店である。
 ここは意外に簡単に見つかった。
 その店は今もちゃんと裏町で酒屋をやっていた。
 大平山の看板がそれである。写真奥にはサントリーの看板も見える。
 当時の酒の看板は小さくなっている。




 店のアップをとって見たかったのだが、この非力なQV−11ではこれが限度である。
 それでも写真左手奥の黄色のサントリーの看板に菅泉酒店の文字がかすかに見えるのではないだろうか?



 さて次の古い写真である。
 残念ながらこれも裏町である。
 写真には陸前古川町裏町 仙台銘酒鳳山酒造店 古川支店 さらに電話番号まで記載されている。
 電話は41番である。極めて古い番号である。
 現在も使用しているとすれば22−0041とでもなるのだろうか?
 果たしてここはどうなったのだろうか?



 いよいよここを捜しに歩く。
 まずは裏町のメインストリートを守安医院の脇から出てのぞく。


 この突き当たりが旧国道4号線とぶつかる。ほんの500メートル程度の道路である。かつては食堂や飲み屋や雑貨屋が軒を並べていたが今は駐車場や空き地が目立つ。


 どうもここでもないらしい。


 ここも駐車場になってしまった。かつては三太やガス販売店があったところだ。借家よりもこの方が儲かるのだろうか?
 ちなみにこの駐車場は一日500円である。


 ウム、どうやらここが臭い。奥に見える建物がゴールデンパレスである。
 この今は何も無い空き地が、どうやらかつての鳳山古川支店ではなかったのだろうか? 残念ながら確証はない。


 ここは古くからあるあやめ寿司。当時は(昭和30年前半)古川でも有名な寿司屋だった。


 この駐車場も鳳山臭いのだが。現在は旧4号線に面した写真屋さんの駐車場となっている。


 旧国道4号線に出ると、向かいには古川で唯一となった映画館がある。
 昔からやっている文化劇場である。
 その昔は母の背中で君の名はなどを見た記憶がある。
 好きで行った風小僧や、まぼろし探偵、モスラ、信吾十番勝負は駅前の東劇や、七日町の中央劇場、十日町の古川座だった。いずれも火事で焼失し営業を断念した。
 古川唯一の映画館は頑張っていて、新年のロードショーは全国より少し遅れのタイタニックである。


 旧国道4号線から裏町のメインストーリーを見る。右手に見える駐車場は先程紹介した写真屋さんの駐車場である。こんな狭い裏町ですら駐車場が多いのである。
 まさに時代は動いているのであろう。


 ちょっと待って、鳳山の写っている写真をもう一度見て欲しい。
 右手の端にブロックの門柱らしいものが見えるではないか?
 あれなら似たような場所があった。
 ちょっと見て欲しい。電棒の後ろにそれらしいき門柱が見えるだろうか?


 もう一度アップで正面から撮ってみる。
 どうだろうか?
 鳳山の写真の右端に写っている門柱にそっくりではないだろうか?
 どうやら、ここがあの場所なのだろう。
 もちろん当時の面影はすっかりなく、その昔、ここは惣菜屋だったり、仕立て屋だったりした店だったのだ。


 さて、前回、今回ちっとも川端が、緒絶川が出てこないのではないか? とお怒りの諸兄に対し、今回はQV−11の非力な映像のみで応えよう。
 少しの間、緒絶川周辺を散策する。
 さて、正面に見える建物は立替えられてから二十数年たっている。
 その前は古い平屋建てで、様々な人達が入った建物である。
 そもそもは夫婦に子供が2,3人の家族が入っていた民家で、何の事情か知らないが、その夫婦は子供を道連れにし、首をつったらしい。
 もちろん昔昔の話である。
 その後、その建物はそろばん教室になり、商工会議所が入ったりした。
 最後は後で跡地を紹介する洗濯屋が買い取り、現在の建物を建てる。
 その後洗濯屋は商売が思わしくなくなり、この裏にある、銀まさが買い取り、現在に至っている。
 銀まさではここをカルチャー教室に貸したり、宴会場に使ったりしているようである。


 清水横丁から出て東を見る。水のない緒絶川である。水が流れれば川は自浄作用が働くが、水がこなければご覧のとおりである。
 既にこの緒絶川は上流で用水としての権利者がおり、その水は緒絶川周辺の人々の思うようにはならない。
 ここで泳いだり、溺れたりしたという話は誰も信じてくれないだろう。


 清水屋本店の跡地である。奥に古い蔵だけがぽつんと見える。


 昭和40年後半、結婚式場や宴会場に大活躍した梁川会館ビルである。
 ビアホールや組合のスト、宴会、様々な思い出がある。
 人手にわたってもレストランともひこや、メンバーズクラブ一条、サウナなどが入って営業し、一時は活気を取り戻したが、現在は空きビルと化している。

 

 隣はこんにゃく屋だったろうか? やはりもう店は開いていない。


 古川初のマイコンショップサウンドロッキーである。
 ここで昭和50年前半、初めてアップルUを目にしたのである。
 果たして商売になっていたのかどうか? 今でも残っているアップルのリンゴマークが懐かしい。


 緒絶川添いに残る2軒の病院のうちの一軒である。耳鼻科である。
 考えてみれば川端は本当に医者街だった。


 隣の空き地である。QV−11の非力な画像にぼんやりと里見医院と見える。既に何十年もこのままとなっている。


 先程紹介した洗濯屋があった場所である。まるで屋根裏部屋のような小さな二階屋であった。
 その狭い二階の窓から緒絶川が見え、花火大会もここから見たものだ。
 今となっては遠い遠い昔の話だ。


 ここも病院の跡地である。


 みちのく煎餅がここにあった。今は南新町にでっかいビルを建てているが、ここにあった店先で親父さんが手焼きで煎餅を焼いて、こぼれた煎餅の耳をでっかい袋に入れて10円で売ってくれたものだ。
 写真の向こうは七日町である。


 ここまでくればこの店を紹介しない訳にはいかない。
 古川のトンカツの老舗である京屋である。
 初代の新ちゃんも、ここで修行し、現在古川にあるトンカツ屋の多くが何等かで係っている筈だ(と思う)。
 昔ながらの厚くて美味しいトンカツをここでは食べる事が出来る。木曜定休日なので要注意。


 ここまでくれば旧国道4号線は目前である。
 という訳で旧国道4号線を挟んで向かいに建っている協栄生命ビルを撮って来た。
何故ここか? 実はここがあの古川座の跡地なのである。
 芝居小屋古川座は現在の旧国道の位置にあり、そのため川端の両側はお茶屋や料亭で賑わったとの記述が古川市史にある。
 その後旧国道4号線の建設で移転を余儀なくされ、現在協栄生命が建っている場所に映画館古川座を建築し、数々の名画を我々に見せてくれた。
 何故か、モスラを小学校4年生の時に学校の授業の一環として見た事を未だに鮮明に記憶している。


 懐かしの映画館古川座である。ディズニーの百一匹ワンちゃん大行進や眠れる森の美女を入れ替えが無いこといい事に何度も見たのはこの映画館であった。


 上の写真は古川座の隣で昔寿司屋があった場所である。
 正月目前、大晦日、店の忙しい両親が気が付かずに幼い子供たちが焼死した。
 サイレンを鳴らさない消防を非難する声が当時あったことを記憶する。遠い昔の話だ。生きていればあの子達も親になっている年なのに……。
 さぁ川端に戻ろう。
 鍋焼きうどんと言えばこの店だった。
 昔は平屋の小さい店で、のれんをくぐって食べるより、太った親父の出前する鍋焼きうどんが懐かしい。
 大きな木の鍋敷きと一緒に土鍋に入ったうどんが出前された。
 もちろん今はない。今のいたがきの目玉は390円の丼ものだ。
 ランチサービスでカツ丼、天丼、親子丼が390円。実に安い。出前をしないことで出来るサービスだ。


 うなぎと言えばこの店だった。今は暖簾を下ろしてしまった早坂屋。その昔は緒絶川のうなぎで料理したという話も聞く。あまりに古く真意の程は分からない。


 日の出横丁を川端から七日町をのぞいて見る。
 途中に見えるのが古川での天ぷらの老舗、千成である。
 最近夜の食事は難しい。どうも宴会だけで手一杯のようなのだ。
 昔はふらっと入って、酒を飲みながら料理があがるのを待ったものだが……。
 さらにその奥に、横丁の名前の由来となった日の出食堂があった。ここも美味しい料理を食べさせてくれたものだが、旦那の突然の死で廃業となってしまった。


 緒絶川を挟んで向かい側。歯医者が見える。そして非力なQV−11の画像にもかすかに見えるアップルカラーの看板。
 ここは昔下駄屋で質屋だった。
 現在は長男が歯科医を開業した。
 中学生の頃から頭がよく、プラモデルなどもずいぶん上手に組み立てていた。手先が器用だったのだ。一度も治療に行った事は無いが、多分中ではマックが大活躍しているに違いない。


 清水横丁を緒絶川から七日町をのぞいて見る。遠く向こうにかすかに見えるのが七日町である。
 何故ここが清水横丁と言うか? 実に単純である。七日町通りに面する角に清水屋旅館がある。それだけである。細く狭い路地で、自転車での高速移動は困難である。 もっとも歩行者も自転車が来ると犬走り(あれは本当はなんと言うんだろう。でっかい犬走りなのだ。虎走りとでも言おうか)によっとと上がったりして。 
 隣に見えるのは前に紹介したリサイクル工房である。


 今回の最後が思い出深い緒絶の館である。
 国土庁の補助事業で補助率も補助金も小さい事業であるが、こぶりで利用率の高いギャラリーが出来上がった。
 これは市民の代表の意見が多く取り入れられ、それを東北工業大学の山田教授、さらに最終的に設計を担当した東北設計計画研究所の手により、乏しい予算でここまでに仕上げていただいた。
 それにしても予算が乏しくともこれほど素晴らしいものが出来るとは。
 とくに頭の中のイメージで作り上げられた建物が実際に建設される建物と同じというのは当然のこととは言え素晴らしい。
 まだ来ていない方は是非一度。このこぶりな建物をじっくり見て、そして展示を楽しんでみて下さい。


 それでは次回緒絶川今昔、懐かしの古川その4に御期待下さい。
 果たして次回は川端か? それともまたも市内の何処か? なのか?
 乞う御期待!



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