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懐 か し の 古 川 そ の 壱





 ここに一枚の古い写真がある。

 陸前古川町川端と読める。
 屋号は北海屋である。現在北海屋は裏町に移転している。
 写真は大正14年に市内の写真館が発行した写真集の一部で、それは非売品と印刷されている。
 既に部数はなく、図書館にも一冊もないという貴重なものだ。
 さて、問題はここが川端の何処なのか?
 手前は確かに緒絶川に違いない。
 編集担当は12月の雪の消えた土曜日デジカメQV−11を片手に自転車を踏んだ。
 ここは小学校へ行く途中の緒絶川で、奥に見える、橋の手前に古い写真に見られるような細い橋が(ただし、石の一枚物を二枚組合わせたものが)かかっていた。
 小学生の中学年だった編集担当は同級生と肝試しと称して、走ってわたったり、自転車でわたったりしたものだ。
 幅は60センチ程度で平ではない石の橋は結構怖かった記憶がある。
 しかし、写真はここではない。
 右手に見えるのが橋平酒造店である。左手に少し見えるのが緒絶の館である。
 左手の奥に小さく光る輪のようなものが郷土の作家宮本先生のお造りになったモニュメントである。
 右手奥に柳の木がぼんやりと見える。
 ここが有名な芭蕉が立ち寄りたくて立ち寄れなかった緒絶の橋(という説がある)らしい。
 上が柳の全景である。とは言うものの非力なQV−11ではとらえきれない。
 下の写真は右京太夫の歌を市が保存したものが右手に見える。
 さて古い写真は当然ここでもない。
 反対側から柳の全景を再度。写真中央が蔵を改造した緒絶の館が小さく見える。写真には写っていないが、その左隣には現代的な蔵のイメージで建てられた緒絶の館がある。
 絵画や彫刻など地元の芸術家に愛用され賑わっている。
 
 いよいよここいらから川端である。奥に見える川の両側のいずれかにあの建物は立っていた筈なのだ。中央奥の橋の下から有名な「灯篭流し」が行われる。
 この川を利用したロケット花火は壮大だったというこ話は既に予告編で紹介済みであった。
 
 ここが灯篭流しの足場をセットする所である。
 北海屋のあの店は多分写真右手のいずれかにあった筈ではないか?

 このへんではないのか?
 昔ながらの銭湯。藤の湯である。古くからの銭湯は市内でもここ一軒となった
(筈)。
 何故か道路側が女湯なのである。中学生の頃、何とか覗けないかと無い知恵を絞ったことが懐かしい。(絶対に無理だったのだ。)
 おっと、写真の場所を捜しているのでした。
 ここは富士東の蔵を改装して造ったリサイクル工房。川端も変わった。
 さて、問題の場所だが…………。
 うん、あそこは……。
 すっかりと変わり果てて駐車場になっているが、このあたりにその昔建物があったような気がする。
 ひょっとすると、ここがあの場所かも。



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