タイトル緒絶川


2000年2月18日(木)クラブのHPの閉鎖の危機が………。
という訳で今日からmnpのHPにお引越しです<(_ _)>
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緒絶川今昔いよいよ編集開始



 数少ないアップルクラブのホームページのファンの方々(おいおいそんなにいるのかい?)からあの緒絶川はどうなったのか?などというお便りが届いている(らしい)とホームページの番人というか子守役というか、我アップルクラブUの技術顧問のほうからホームページの増量材であるMNPである活字書くのだけ大好き人間の小生にしばらく前から依頼が入っていた。
 しかし小生は御存じのとおり(誰も知らないか)選挙は本部に属し、されに前述の技術顧問からは誰も読まない萬心の編集継続について打診されており(よせばいいのに萬心の総集編なのだ)、その気になって古いフロッピィーのコンバートなどもあったものだから(それにしても、この言い訳、実にうまい。長年の宮使えはこうして言い訳の使い方を上手にする。もちろん下手な奴は生き残れない。もっともごくまれに出世したりする場合もあったりする)、この緒絶川今昔についてはやらねばなるまいと思いながらもこうしてただ、いたずらに時が流れるのを見ていたところがあるのだ。
 今を去ること四十年前、実際に広報担当はあの緒絶川添いの小さなクリーニング屋の二階にちょっとだけ住まいしたことがあったりして、目の前の緒絶川の清らかな流れを毎日見ていたのである。
 近所の友達とはゴム長靴で緒絶川に入りよく鮒などをとったりしたりしたものだ。
 当時はまだ水は奇麗で(というより流れがあったから、たえず浄化されていたのだろう)洗濯や食器洗いなどしている家庭もあり、川にはそういう為の踏み台のようなものが所々にあったりした。
 水道だってまだ一般的ではなく、そこクリーニング屋では台所に瓶があってそこに水道水を貯めていたような気がする。
 実際、緒絶川の要所要所に共同水栓があって、蛇口の上だけ家庭で持っていて、それを持って水道に行ったような気もする。
 あの頃の川端は商店街を形成していて、子供たちにとっては七日町より楽しい町だったような気がする。
 みちのく煎餅(10円もだせば、煎餅の耳が山ほど買えて、一日遊べた)や千成、京屋、いたがき、成田屋、藤の湯、ばばこ屋、名前が浮かんでくるのはこれくらいだが、業種で言えば、豆腐屋、肉屋、煎餅屋、靴屋、下駄屋、傘屋、床屋、洗濯屋、煙草屋、銭湯、小間物屋、料亭、医者(医者は今でも2軒残っているが、さらにもう1、2軒あった筈なのだ)、後何があったのだろうか?
 ようするに緒絶川の周辺の川端は距離にして1キロもないのだけれど、あらゆる業種が寄り添って街(この字の方が似合うな)を形成していたような気がする。
 鳴子ダムが放流をすると近所のおじさんが網をしかけて、朝に網をあげるといろいろな魚が入っていたのを覚えている。
 それに花火大会だ。
 今ではあまり覚えている人もいないが、当時消防があまり規制規制とうるさくない時代、あの川添いで花火大会が開催されたのだ。
 圧巻は灯篭流しのコースをロケット花火が走ったり、ナイアガラがあったりで実に目の前の花火のショーは子供心に圧巻であったことを記憶している。

 という訳で、いよいよ緒絶川今昔編集開始します。
 まずはデジカメで緒絶川の今を撮り込んで、流したいと思います。
 今でも奇麗だと感じるのは緒絶の館とその前の柳を写し込んだ雪の風景ですが、そういう奇麗な写真が今に現れるか?どうか、乞う御期待を!





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古川まつり編’98(番外)

「緒絶の橋」について(テキストのみ)



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