ミナルディ名場面集

ミナルディが参戦してから撤退したチーム


※( )内は、チームの別名、合併 売却 買収前後の名前、略称等。
※間違いがあったら指摘求む。


スピリット
イギリス 1983〜1985年
新しい者がいれば去る者もいる。後々まで搭載し続けるはずだったホンダエンジンも取られ、スポンサー
も集まらず、最後には資金が底をついてついに消滅。

RAM(ラム)
ドイツ 1976年〜1985年
マーチシャシー使用のプライベートチーム。途中からオリジナルシャシーへ変更。満足な結果は全く
もって出せず。資金不足でシーズン途中で撤退。(マーチと項目を別にしてここに記載しました)


アルファロメオ
イタリア 1950年〜1985年
アルファロメオはフィアットグループの傘下になり、フェラーリの陰に隠れてしまっては、参戦している
意義も無く、あえなく撤退。チーム自体は古くからF1に参戦していました。

ハース
アメリカ 1985年〜1986年
わりと資金が湿潤でターボエンジンを導入しNA勢を押さえ込んだり、有名ドライバーをドライブさせ
たりとションボリドンジリチームではなかったものの、チーム内のゴタゴタとオーナーの都合により撤退。

ザクスピード
ドイツ 1986年〜1989年
ヤマハ搭載前はエンジンは自生産。そして89年伝説の鈴木亜久里・全戦予備予選不通過。その時の
A.コスタ作のシャシーは熟成されていないだけでポテンシャルは決して悪くなかったそうです。えっと、
チーム自体はとてもまともなチームです。

リアル(ATS)
ドイツ 1988年〜1989年
一般的にはダメダコリャ!イメージチーム。一瞬神が降臨したかの如く輝く時GPもあったのですが、
単発終了。ライフと同じく、お笑いネタにされる時もありました…。

オニクス(モンテベルディ)
スイス 1989年〜1990年
初年度では時折キラ〜〜ン☆とした走りをみせる。しかしその光もほんの一瞬。資金難&チーム内の
ゴタゴタにより売却。モンテベルディになった後すぐ撤退。一般的なイメージは下位チームのイメージ。

ユーロブルン
イタリア 1988年〜1990年
資金不足→1カー体制→資金不足→全戦予備予選不通過→撤退というションボリチームの見本になる
ような流れのチームです。チーム発起人のウォルター・ブルンは寂しげに別れの言葉を残し、F1から
去っていったとさ。

ライフ
イタリア 1990〜1990年
フェラーリと見間違えそうになるがほとんど登場しないから見間違わない。このころのF1お笑いネタとして
必ず登場するかわいそうなチーム。ライフW12気筒が有名。ザ・ションボリショボボボーンチームです。

AGS(Automobiles Gonfaronaise Sportive,コーヒーギフトはAGS)
フランス 1986年〜1991年
F2ではミナ同期生。ビンボーチームの代名詞チームで、他チームはデジタルメータなのに、金無くて
レトロなアナログメータ使用…やるじゃん。最後の鮮やかな虹色マシンが余計に寂しかったです。
ココ、ミナ中の同ページでネタにしていますが、たしかコローニとかよりビンボーだったはず。

モデナ(ランボ,モデナランボ,モデナランボルギーニ)
イタリア 1991年〜1991年
半ランボワークスチーム。典型的な空力失敗マシンで、斬新なおにぎり型サイドポンツーンを導入するも
シーズン途中で元に戻す。B級チーム好きな人にとっては心をくすぐられるチームだと思いませんか?。

マーチ(レイトンハウス)
イギリス 1970年〜1992年
ほぼノースポンサーの時でもなんとかかんとかパフォーマンスを維持することが出来た所はさすがプロ
集団。しかし波が非常にあったチーム。レイトンハウスブランドで日本でもワリと人気がありました。

ブラバム
イギリス 1962年〜1992年
老舗名門チームなのは周知の通りですが、世紀魔Uがスポンサーになったり、気色悪いピンク色使っ
たり、アマティ選手を乗せてお偉い方とパフパフ(略)だったりと、後半はなにかと話題に絶えなかったです。

フォンドメタル(オゼッラ,ミナルディフォンドメタル,フォメット)
イタリア 1981年〜1992年
下位チームのダークホースと言われてました。シャシーの出来も悪くなく、突然上位にひょっこり顔を
出す時も。ミナファンにもお馴染みの故ガブリエーレ・ルミ氏が率いたチーム。

コローニ(アンドレアモーダフォーミュラー,AMF)
イタリア 1987〜1992年
レースに対する愛と情熱2強は、エンツォコローニとジャンカルロミナルディ。個人スポンサー募集で
2万円払った人、ここ見てる人でいますか?。後にサセッティが買収。アンダーカテゴリでは強いチーム。

ラルース
フランス 1987年〜1994年
日本人ドライバーがドライブしまくっていたので、日本のF1ファンもお馴染みのフランスのチームですね。
オールフレンチを目指していました。(ローラの項目も参照の事)

スクーデリアイタリア(BMS,ミナルディスクーデリアイタリア)
イタリア 1988年〜1993年
F1初心者が必ずフェラーリと見間違えるチーム。同じイタリアとして常にミナルディの比較対象となって
いた中堅チーム。そして互いに良きライバルとして戦っていたチーム。

MHBレーシング
イタリア 1993年〜1993年
このチームを知っている人はあまり居ないと思います。ムッシュリーノ・カマヤーツン代表。趣味は音楽。
MHBはモジャヘアーバルバッツァレーシングの略。

ロータス
イギリス 1958年〜1994年
80年後半から低迷。新人としてハッキネンを送り出し、多数日本企業からもスポンサードを受け、試行
錯誤で復活を試みますが失敗。名門ロータスの名に終止符が打たれる。(パシフィックの項目も参照の事)

パシフィック(パシフィックチームロータス)
イギリス 1994年〜1995年
あ〜そういやいたなぁ的チーム。破産したロータスを95年に吸収するも成績ふるわず、金も底をついて
撤退です。(ロータスと項目を一緒にしようかとも思いましたがコンストラクター自体の歴史は別物なので
一応記載しました)

シムテック
イギリス 1994年〜1995年
ローランド・ラッツェンバーガーの事故死、アイルトン・セナの事故死から10年が経ちます。ご冥福をお祈り
します。新鋭チームにとってはあまりにも辛い出来事でした。

フォルティコルセ
イタリア 1995年〜1996年
アンダーカテゴリではそれなりのチームでしたが、F1では満足な結果が全く出せなかった残念チーム。
これまた資金難でシーズン途中で撤退してしまいました。この頃はプライベートチーム生き残りにとっては
かなり難しい年度に突入しています。

ローラ
イギリス 1997年〜1997年
シャシーコンストラクターとしては一流ですが、チームとしてはダメダコリャチームです。あまり印象もなく、
忘れられがちーむ。資金繰りに困り、無念の撤退。ロ〜ォ〜ラァ〜♪

ティレル(現BAR)
イギリス 1971〜1998年
BARに買収されたものの、コンストラクターとしては全く別物なのでここに記載しました。93年あたりまで
名機020をテスト用マシンとして使用。このシャシーの素性が良いから出来た事です。

リジェ(プロスト)
フランス 1976年〜2001年
老舗チームも90年代に入るとエンジン性能を引き出せない事に苦しんで低迷。後に上昇気流に乗るも、
プロスト時代になるとテールエンダーとしてミナ機と仲間っ♪。昔は強かったのに…。フランス代表チーム。

アロウズ(フットワーク,フットワークアロウズ)
イギリス 1978〜2002年
フットワークとは名ばかりで実際は「徒歩の様なフットワーク」だったわけで。人材の不安定要素が徒と
なって、常にゴタゴタしていたチーム。老舗チームであるアロウズが撤退した今でも、ミナルディは健在!。

雪印ミナルピィ
日本 2003年〜2003年
あるサイトの、病気にかかった集団が結成し、参戦を企んでいたチーム。スポンサー問題やスタッフ達の
ドーピング疑惑(中毒症状がでるらしい)などで結局参戦する事は無かったものの、迷彩色のカラーリング
を施したガックリデザインは都市伝説となっているとかいないとか。

ジャガー(スチュワート)
イギリス 1997年〜2004年
設立当時からフォードチームですが、、、フォード側の規模縮小通告があり、そしてついにというか、まさ
かの突然というか、04年を最後に撤退。中途半端なチームで終わってしまったという印象になりました。



たくさんのチームが消えました。
( )内の買収されてしまったチームもカウントすると相当な数です。
こうみると、ミナルディがどれだけ生命力が強いかがわかる気がします。
ミナルディが生き残ってるのがなんか不思議に見えるくらいです・・・。
がんばれミナルディ・・・。絶対撤退なんかするなよ・・・。

あとがき
このページで出てくるチームに、2つ「ウソチーム」があると連絡を
頂きました。只今真相を究明中です。


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