ミナルディ名場面集

フェラーリとミナルディの関係

フェラーリとミナルディは仲が良い。
フェラーリのクルー達に「仲の良いチームはどこ?」と聞くと、「オゥ ソレハ ミナルディー デス。 チャオ♪」
と、答えてくれる、かはわかりませんが、とっても陽気なイタリアンチーム同士です。

80年代後半のミナルディの活躍を見たフェラーリが同じイタリアチームとしてののよしみも手伝い、ついに
門外不出だったフェラーリV12エンジンを91年、ミナルディに供給する事を決定。

そう、伝説の「フェラルディ」の誕生です。

今時代では「フェラーリエンジン」なんぞめずらしくもなく、ザウバーをはじめとして、他チームにも供給して
います(していた)が、それを初めて破ったのが「ミナルディ」なわけです。ミナルディF2でフェラーリエンジンを
使用していた頃もありましたが、「カーレース最高峰であるF1の門外不出エンジン」を手に入れられた事は、
チームにとって&チームの将来にとって、大きな材料になったわけです。

イタリア人に「フェラルディって知ってる?」と聞くと誰もが、「オゥ ソレハ ミナルディー デスネ。 チャオ♪」
などと答えてくれるわけありませんが、フェラーリとミナルディの名前をくっつけたなんともアダルティー
パフパフゲフンゲフンな名前で、周囲に強烈なインパクトと衝撃をあたえました。周囲の評判は様々でした。
「あの小さなチームでフェラーリエンジンは使いこなせない」
「フェラーリエンジンを載せれば無条件で速いはず」
など期待や批判や注目が集まります。フェラーリV12はピーキーなので7速セミオートマミッションがデフォルト
のところをあえてフェラーリV12+ミナルディ6速横置きミッションというパッケージを試みます。
「ギヤボックスのレンタル料まで払えないよ!
 んなら自分たちでフェラーリエンジン用ギヤボックス作りますわ チャオ♪」
と、ジャンカルロ氏が叫んだのかどうかはわかりませんが、経費削減、自分たちでやれる事はなんでもやって
しまおうと、ミナ工場の職人さん達が頑張るわけです。
「ミナ工場・・・」なんか凄くイイ響きだと思いません?
「ミナルディ工場」なんか違う。
「ミナルディファクトリー」いや違う。
「ミナルディ鉄工所」違うな。
「ミナ工場」ああ、しっくりきます。これです、これ。
ミナ工場で職人さんが作ったネジ。ああ・・・いい・・・。

毎GPにはフェラーリ側から2〜3人ほどのエンジニアもレンタル。やる気満々です。ミナ工場もフル稼働。
DFRから脱出すべく、酸っぱい臭いのアジップの血が流れる最強エンジンで果敢に攻めるのですが、シー
ズン半ばでエンジン代が底をつき気味になります。フェラーリ側は、
「金ナイナラ、エンジン キョウキュウ シナイ! チャオ♪」
などとは言わず、快く(?)借金に応じてくれました。フェラーリ側からも「ミナルディを救う」的な発言があった
のも事実です。(注:フェラーリの「ミナルディを救う」的な風潮はこの年に限った事ではありません。)

ちなみにこの年のミナルディのメインスポンサーはSCMグループです。SCMはイタリアの木工会社で、もの
凄いでっかい会社というわけではありません。(SCMグループのおぼっちゃまでフェラーリとも関係のあった
モルビデリもミナルディをドライブ)
SCM以外は、イタリアの小口スポンサーでしのいでいました。小口スポンサーの数はとても多く、「小口スポ
ンサーでがんばるミナルディ」などと言われていました。イタリアのスーパーマーケットやマイナー家具屋さん
などなど、おもわず、「世界に宣伝する効果あんのかい!ズコー」 と、ツッコミを入れたくなるようなイタリア
小口スポンサーが目白押し。(それはそれで楽しかったんですけどね)
そういえばこの頃は日本のトキメックさんがスポンサードをしていてF1系雑誌にもよく広告が出ていましたね。
慣性測定制御装置なるものを提供していた記憶があります。ミナルディマシン画像を全面に起用し、日本で
広告した企業はトキメックさんが初になります。日本にもミナルディ支社があり、ミナルディグッズも比較的
手に入れやすい時期でもありました。とにかくこの頃は日本のF1ファン達に「ミナルディは中堅」だという事を
印象づけた年でもありました。

大企業スポンサーがついている訳でもないのに、レンタル料がバカ高くて未知のフェラーリエンジン導入に
踏み切ったミナルディ。実はこの頃、ジャンカルロ氏は、「オールイタリアン」を目指していたと言われています。
エンジンはフェラーリ、電装系はマグネッティマレッリ、ガソリンはアジップ、その他パーツもほぼイタリア、ドラ
イバーもチームもイタリア、スポンサーもイタリア系ばかり(しかも小口ばっかり)、フィニチャー・アパレルも
イタリア企業のが多く、足回り以外(ホイールはエンケイ、タイヤもピレリからグッドイヤーにスイッチ)の物は
ほとんどイタリアでかためていました。かためていたというより、気づいたらイタリア製だらけだったものだから、
「えーい、ど〜せならオールイタリアンにしちまえ」
てな考えだったのかもしれません。フェラーリエンジン搭載がさらにその考えの起爆剤になったのかもしれま
せんね。

細かなビジネス的な話や、突っ込んだ内部事情は一般素人の私にはわかりませんし、知りません。
ただ一つ言えるのは、
フェラーリは「ミナルディだから供給した」という事実があったのです。
そしてそれらの出来事はジャンカルロ・ミナルディ氏にとっては、
「最強のエンジンを手に入れた」喜びというより、ミナルディ家と昔から縁のあったFIATグループであるフェラ
ーリの血を体に注入出来た事が、「勲章を手に入れた喜び」があったという表現の方がいいのかもしれません。

フェラーリオタにミナルディの事をバカにされたらすかさずこう言いましょう。
「昔はあんたと同じ血が流れていたんだ。チャオ♪」と。




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