ミナルディ名場面集

カラーリングの秘密

患者A 「ミナルディカラーといえば黒と黄。白もね。今は黒だけど、
      何となく今でもミナルディのイメージは黒と黄なんだよなあ。」
患者B 「うん。」
患者A 「ジョーダンのイメージカラーが黄になった時なんとなく悔しかった。」
患者B 「うん。」
患者A 「M193がギリギリ黒と黄で正直ホッとしたよね。」
患者B 「うん。」

M193が黒と黄だあ?真っ白じゃんか!と言わないでよく見てください。たしかに一見真っ白なマシンなのですが、
Betaの上下にあるストライプは黒と黄なのですよ。ちゃ〜んとチームカラーを全色使っているんです。
「とはいえほとんど白じゃねぇかよ!」とツッコミを入れないでください。ほんの少しだけでも黒と黄を使ったという事実は
当時のミナルディファンに取っては大満足な事だったのです。なぜなら、走る広告塔と言われるF1では、チームカラー
を維持する事(スポンサーカラーに変更しない事)は今のF1では非常に難しい事なのです。

アンダーカテゴリで戦っていた頃のミナルディも黒色と黄色のカラーリングで、85年にミナルディがF1に参戦してから
94年にBetaカラーに変えてしまう前の93年までの9年間、黒・黄のチームカラーを保持し続けたという事実は意外にも
凄い事なのです。(スポンサーカラーにするほどの大企業が付かなかった、スポンサーカラーにするほどのマネー契約
ではなかったというツッコミは無しよ)
94年Betaの茶色や、1998年avexのブルー、1999〜2000年テレフォニカのブルー&蛍光イエローなど、スポンサー
カラーに染まった時もありますが、それ以外はほぼチームカラーです。

ミナルディはなぜ黒と黄色だったのか?それは、ジャンカルロ・ミナルディが好きな色。それが黄と黒。
で、すこし話しがそれますが、このページで「黒」と言っていますが、実は厳密に言うとミナルディの「黒」は「紺」です。
見た目はほとんど黒ですが…。(2001年〜は普通の「黒」です。)

今は黒と白のマシンになっていますが、それはポールストッダートが好きな色です。
そうするとミナルディは参戦当時から黒を多く使っているマシンになりますですね。

F1のカラーデザイナーという仕事は、色やデザインだけを決めるという仕事だけではなく、スポンサーと打ち合わせして
ロゴの大きさ・位置・色など決めたり、本来のスポンサーイメージカラーを微妙に変更してテレビでそのロゴが映った時に
正しい色で表現できるかどうか何回もチェックを行うなど、かなりの手間暇がかかるのだそうです。
たかがカラー、されどカラー、カラーリングのやり方一つでもF1では相当のお金を費やす事になるのです。
そしてそのカラーリングはチームのその時の状況やイメージがモロに表れるという事実があります。
違うデザイナーがデザインしたとしても、チームの状況が寂しければ、寂しいカラーリングになってしまうという
わけなのです。

結局の所、好き名チームなら何色でもいいのですが、カラーリングから、「チームのこだわり・チームらしさ」を少しでも
視覚として感じ取れれば、私達F1視聴者・ミナルディ視聴者にとっては嬉しい事なのです。



1993年は「白いマシン」ではなく、「チームカラー」。


ミナルディが初めてチームカラーをやめてスポンサーカラーにした1994年。
初の合併、ミナルディスクーデリアイタリアとなってカラーを変更しイメージを一新。


1995年〜1996年は、蛍光グリーンを使うも、基本は「紺」と「白」。 いちおうチームカラー?。


ミナルディ三原色復活の1997年。


エイベックスブルー、フォンドメタルシルバーの1998年。チームロゴも青楕円にmの字。


テレフォニカブルー&蛍光イエロー、フォンドメタルシルバーの1999年。


テレフォニカカラー一色の2000年。


2001年からはポール2原色の「黒」「白」に。



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