人物辞典No.3

黄忠漢升−老いを知らない弓の名手
出身地南陽郡 幼名
生きた期間?年〜220年享年60歳以上 知謀63 武勇89 人望80
容姿髭が長く白髪

らくちん頭出し
【第1話】黄忠奮戦、関羽と渡り合う
【第2話】蜀への侵攻始まる
【第3話】夏侯淵を破る
【第4話】五虎大将になる
【第5話】老いることを最後まで拒否した老将〜夷陵に散る


黄忠奮戦、関羽と渡り合う
 初め荊州の刺史劉表に仕えていたが、後に長沙の韓玄に仕える。
 曹操によって荊州から追い出された劉備が、関羽を使って攻め込んできた時は、関羽と一騎討ちで大激闘を演じた。当時黄忠 はすでに60歳を越えていたが、その武勇は天下の豪傑並みであった。
 ある日、乗っていた馬が躓いて黄忠は倒れてしまった。絶体絶命の状態であったが、正々堂々勝負をしたい関羽は攻撃をしな かった。翌日、今度は関羽を得意の弓で射る際、兜の緒につけて返礼した。こうして2人は互いに認め合う仲になったが、主君の 韓玄は黄忠が内通していると疑い、斬首しようとした。
 そこへ同僚の魏延が躍り出て韓玄を斬り殺し命拾いをしたが、その際魏延の行動を止めようとしたほど忠義な人柄であった。
 後に劉備によって平定されると、病気と称して引き篭もってしまうが、劉備直々の来訪を受けてようやく降伏し、韓玄の葬儀を 取ることを許された。

蜀への侵攻始まる
 劉備が蜀に攻め込むことを決断した時は、その先鋒をつとめた。フ水関では魏延と共に蜀兵を逃がさぬように包囲し、蜀の牧 劉璋の配下楊懐・高沛らを全て捕らえることに成功する。さらにラク城の手前では冷苞を攻め、トウ賢を討ち取り、来襲した 呉蘭・雷銅の攻撃を防ぐ。
 軍師のホウ統が死に劉備軍が浮き足立つと、フ水間立て篭もることを進言、諸葛亮を呼び寄せるよう劉備に勧めた。
 到着した諸葛亮の策で、敵の馬の足を斬る役を務め、騎馬隊を捕らえることに成功した。
 綿竹城の戦いでは、李厳相手にてこずるが、負けた振りをしておびき寄せ討ち破り降伏させる。
 その後、劉璋の降伏を受けて、劉備と共に成都に入った。征西将軍に任じられた。

夏侯淵を破る
 やがて劉備は魏討伐のため北上を計画し、手始めに天蕩山を守っている張ゴウ、夏侯尚を黄忠と厳顔の老将コンビに攻めさせ 快勝。張ゴウは近くにいた夏侯淵の元へ逃げ、夏侯尚は黄忠らによって捕らえられた。さらに魏将韓浩を討ち取り天蕩山を取る。
 勢いに乗った黄忠は、次に定軍山の夏侯淵を狙うが、諸葛亮は夏侯淵を高く評価していたので、勢いに任せて攻め立てるのは 危険と感じ、法正を従軍させる。
 黄忠は定軍山の麓に陣を構えて夏侯淵を挑発するが、一向に乗ってくる気配がない。そこで捕虜の交換を申し出る。黄忠は魏 将夏侯尚を、夏侯淵は蜀将陳式をそれぞれ捕虜としていたので、交渉は成立する。しかし、捕虜交換の際、弓の名手黄忠が 帰陣する夏侯尚の背中を矢で射ったため、激怒した夏侯淵が出て、両者は打ち合うことになった。
 冷静さを失った夏侯淵を法正の策で討ち破り、さらに逃げのびようとする彼を背後から襲い、頭蓋骨を一刀両断した。
 その後、再び来襲した張ゴウを趙雲と協力して破り、次に曹操が送り込んできた徐晃と王平も趙雲と組んで大勝する。
 漢中をめぐる戦いでは、山を焼いて曹操の進撃を食い止めた。

五虎大将になる
 後に漢中王に即位した劉備は漢王朝再興を大義とし、簒奪者である曹一族と魏を倒すことを国是とした。その際、蜀の地を 取るのに貢献した武将を五虎大将に任じた。関羽・張飛・趙雲・馬超・黄忠である。これは劉備の部下に対する感謝の意味も 込められていたのだろうが、結果的には挙兵時代から劉備に付き従っていた関羽の不満を誘うことにもなった。新参者の馬超 や黄忠と同格に扱われたからである。
 しかし内外の評価は高く、関羽を呂蒙の計略によって殺した後、呉の張昭は「蜀が敵討ちに出てくれば大変危険である」と 言い、その際脅威となる武将の一人に黄忠の名を挙げている。

老いることを最後まで拒否した老将〜夷陵に散る
 張昭の懸念は現実のものとなり、皇帝の位に即いた劉備は、呉討伐の軍を起こす。黄忠はこの先鋒をつとめた。
 初めこそ快勝した劉備だったが、彼は元々戦が弱く兵法にも疎かったため、延々70里にも渡る陣を敷いていた。その光景を 傍観していた魏の曹丕は、劉備のあまりの戦下手に溜め息をもらしたという。
 呉の名将陸遜が守りに徹したため戦線が膠着状態になってしばらく、火計に遭って劉備軍は総崩れとなった。その際、先鋒 をつとめて黄忠が呉に降ったという噂が流れたが劉備はそれを信じず、関興・張苞を応援に向かわせた。
 一方の黄忠、回り中敵になっても奮戦を止めず、呉の史蹟を斬り潘璋と力闘を演じる。実は劉備が不用意にも「昔から私に 従ってくれた猛将も歳を取った」と言ったことに憤慨したためであった。
 しかし、歳にはかなわなかったのか、馬忠によって肩を射られると倒れ込みそのまま起き上がれなかった。その場は味方に よって救われるものの容体は回復せず、劉備に看取られてこの世を去った。
「私が年寄りは役に立たないなどと言ったばかりに、こんな目にあわせてしまった」と泣いて詫びると、「どうか天下統一を」 と言い残したとされる。最後まで忠義に厚い男だった。

●筆者から一言●
 黄忠の半生(というより劉備と出会う60歳までだから6/7以上)は、実に見るべきものがない。これは主君の劉表や韓玄が人を 見る目がなく、彼を用いなかったところによる。夏侯淵を討ち取り、敵からも脅威と評価されたこの老将の人生を振り返ると、 どんな有能な人物であっても居場所によっては全く能力を活かせないということを実感する。
 そう思うと、自信を喪失しそうな厳しい現代の社会情勢で、少しだけ自分を好きになれるような気もするし、勇気も湧いてく る。できることなら私も、自分の能力を引き出してくれる上司なり、先輩に会いたいものである…(勿論、引き出せる能力が果 たして眠っているのか、甚だ疑問ではあるが)。
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