人物辞典No.5

孫策伯符−向かうところ敵なし、呉の小覇王
出身地呉郡 幼名
生きた期間175年〜200年享年26歳 知謀79 武勇96 人望90
容姿容貌端麗にして優雅

らくちん頭出し
【第1話】父の戦死
【第2話】袁術より兵を借りる
【第3話】曹操との確執
【第4話】小覇王、弱輩の手にかかる!


父の戦死
 孫策は孫堅の長男に当たり、勇猛果敢な性格であった。
 父孫堅が袁術にそそのかされて荊州の劉表を攻めたときは同行し、数々の戦功を上げた。しかし劉表の謀臣カイ良の策で 待ち伏せに遭い、全身を石と矢を浴びて絶命した。
 孫策は捕虜にしていた敵将黄祖と引き換えに父の遺体を引き取り、曲阿の墓地に葬った。

袁術より兵を借りる
 敗戦後江東に帰った孫策だったが、叔父と徐州の牧陶謙が不仲になった事から、単身袁術に身を寄せた。元々戦に強かった 彼はここで多くの戦功を挙げることに成功した。しかし、父孫堅の大望を叶えるためには自前の兵を持たねばならず、以前洛 陽に攻め込んだ際手に入れた伝国の玉璽を質として差し出す代わりに兵を借りて、まず劉ヨウのいる揚州を攻めた。 このとき敵軍にいた猛将太史慈を捕らえれると、彼の人格・能力共に認め、「必ず戻ってくる」という彼の言葉を信じて野に 放った。
 約束の日時になると、太史慈は敗軍の兵士3千を集めて孫策の元に戻ったため、両者は強い信頼関係で結ばれることになった。
 これに勝利した次は呉郡の厳白虎を討ち、さらに会稽まで平定した。

曹操との確執
 そんなおり、呂布に敗れた袁術から援軍要請の使者が来たが、以前より願い出ていた玉璽の変換を拒否されていたためこれ に応じず、逆に曹操から届いた袁術討伐の詔(みことのり)に従って出兵する。曹操からその功を認められ討逆将軍に封じられ、 呉侯となった。
 この当時、曹操はまだ孫策を正当に評価しておらず、親の七光り程度と考えていた。
 しかし、孫策が盧江、予章郡を平定すると、曹操は自分の人物眼が間違っていた事を認めざるを得なくなり、感嘆したと言う。

 そこで曹操は孫策を手なづけようと曹仁の娘と孫策の末弟孫匡を結婚させ両家の絆を深めようとした。
 しかし大司馬の位を望んでいた孫策は逆に曹操を恨むことになり、曹操の本拠地許昌攻略を計画するに至った。

小覇王、弱輩の手にかかる!
 その頃、呉郡太守の許貢が曹操に内通しようとした。これを知った孫策は激怒し、彼を処刑してしまう。
 このために、孫策は許貢の食客から恨まれることになったが、群臣の諌めも聞かず本人は平定したばかりの領内を単身で 巡回する始末。あえなく許貢の食客達によって不意を襲われ重傷を負ってしまった。
 その後、袁紹から「共に曹操を討とう」という話が持ち掛けられる。元々中原で好き勝手な事をやっている曹操を良く思っ ていなかった孫策は快諾するが、使者の陳震をもてなす宴会の途中で、武将達が次々席を抜け出していくという事態が起こっ た。何でも于吉という仙人を拝みに行くそうだと聞いて激怒した孫策は、于吉仙人を斬首してしまった。
 それからと言うもの、毎晩の如く于吉の亡霊が現れ孫策を苦しめた。
 死を悟った孫策は家族や重臣を呼び寄せ、力を合わせて国を守るように言い残してこの世を去った。

●筆者から一言●
 呉の武将の中で最も人気の高い人と言えば、やはり孫策と周瑜であろう。2人は共に当時二喬と呼ばれた美人姉妹を娶り、 生まれた年は同じながら義理の兄弟となっている。
 また、孫策にしても周瑜にしても美男子でありながら爽やかな性格が、女性だけではなく男性からも支持を集めている原 因だと思う。美女を得た美男子で妬まれないと言うのはなかなか難しいものだが、これも2人の人徳なのだろうか。
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