南皮の戦い

 袁紹亡き後、袁家は袁譚と袁尚の二派に割れていたが、袁譚は曹操の下にいた。
 曹操が袁尚の[業β]を攻めている間に、袁譚は甘陵、安平、渤海、河間を奪取した。
 これを背信と捕らえた曹操は、直ちに袁譚討伐に向かう。

 袁譚は平原を攻略し、南皮を併合するが、曹操の攻撃によって平原を奪われる。

 205年正月、曹操は遂に南皮へ向けて攻略を開始する。袁譚軍の激しい抵抗もあり戦局は一進一退を 極めたが、兵を引こうとする曹操に「敵陣の奥地まで攻め込んで退却すれば、威光が落ちる」と諌められ、 決死の覚悟で戦ったところ、ついに袁譚軍を捕らえた。
 曹操は袁譚とその腹心である郭図を斬首した。

 なお、袁譚と袁家の跡目争いをしていた袁尚は遼西の鳥丸の元に逃げ込んだが、曹操を恐れた鳥丸によって 逆に捕らえられ、殺されてしまう。
 ここに名門袁家は滅亡するのである。

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