官渡の戦い

 袁紹と曹操は、表向きは同盟関係にあった。というのも、袁紹は公孫と、曹操は袁術、呂布 らとそれぞれ戦闘状態にあったからだ。
 しかし共に仇敵を倒した今、両者の間には相容れないものがあった。そもそも袁紹は名族の御曹司であり、宦官の子孫である曹操を見下していたが 今や立場は逆転し、献帝の名の下に自分に官位を授けるまでになっている。袁紹としてこれほどプライドを傷つけられることはない。

 曹操軍と袁紹軍は白馬・延津で激突したが、この時曹操の下にいた関羽によって袁紹軍将師の顔良・文醜を立て続けに討ち取られてしまう。
 袁紹軍の参謀沮授は曹操が食糧不足に陥っていることを突き持久戦を主張したが、数に勝る袁紹はそれを聞き入れず、積極的に攻め続け緒戦で曹操軍を 撃破し波に乗る。

 ただし、袁紹が曹操の本営があった官渡を包囲すると戦局はこう着状態にはいる。公孫攻略の 時と同様の攻城兵器を駆使するものの、曹操はそれを上回る知略によって次々とそれを破壊することに成功する。
 そうこうしている内に、袁紹軍内で異変があった。許攸が不正行為の発覚を恐れ曹操に内通したのだ。許攸から袁紹軍の内情を正確に掴んだ曹操は 鳥巣の兵糧庫を急襲し兵糧を焼き払う。大軍を擁する袁紹軍は補給がなくなると浮き足立ち、敗走した。

戻る