事実、当初は思惑通り事が進んだが、袁紹が大軍を擁して進攻してくるとさすがに戦況が悪くなった公孫 は、同盟関係にあった黒山賊に援軍を要請するに及ぶ。 しかし、その使者が袁紹によって捕われてしまった。袁紹は「黒山賊が来たら狼煙を上げよ」という部分を利用し、まだ 到着していない黒山賊が来たかのように狼煙を上げた。
まんまとおびき出された公孫は袁紹軍によって 完膚なきまでに打ち破られてしまう。
公孫は再び自慢の要塞に立て篭もったが、 袁紹陣営には田豊・沮授という智謀の士がいた。 袁紹軍は地下を掘り込んで城内に侵入、火を放った。
敗北を悟った公孫は妻子を殺した後、 自らも自害した。