鮑丘の戦い

 界橋の戦いで敗れたとはいえ、幽州での公孫 の勢力は絶大であった。袁紹とて、そうそう簡単には手を出せない相手だ。
 しかし両者に転機が訪れた。人望厚く、かつて袁紹たちによって天子に推戴された劉虞を公孫 が殺したのだ。これが内外から大きな反感を買うことになった。
 まず劉虞の配下が次々幽州内で蜂起し、燕の閻柔が鳥丸を懐柔して参戦させる。袁紹は劉虞の子劉和らを派遣して 共同軍を合流させると10万の大軍で鮑丘で公孫 を打ち破ったのである。

 この戦いの敗北によって公孫は本拠地を 易京に移さざるを得なくなり、劣勢が決定的になる。

戻る