江東攻略戦

 袁術の元で数々の功を挙げていた孫策であったが、彼の才能を恐れた袁術は「一郡を授ける」という約束を 反故にし続けた。
 そこで、孫策は揚州刺史劉ヨウ討伐を志願し、密かに袁術からの独立を企てる。

 当時、劉ヨウは揚州の州都寿春を袁術に占領されていたため、曲阿に本拠地を置いており、そこには孫堅の 墓があったため、袁術も孫策の志願を理解し、玉璽を質として差し出させる代わりに兵1000を与えた。

 孫策は後に呉の二張と呼ばれる賢者、張昭・張絋の2人を連れて出兵し、さらに途中で親友の周瑜と出会い、 共に協力することを誓い合う。

 孫策軍は強く、湖熟・江東から曲阿に侵攻、その後も留まることを知らず、呉郡・会稽をたちどころに平定 してしまう。

 劉ヨウが戦いの途中で病死した後も、主君のために戦っていた猛将太史慈を丹楊で破り、これを配下とした。

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