界橋の戦い |
董卓を洛陽から追い出すことにこそ成功したものの、長安で依然として勢力を誇る董卓には袁紹は軍事力で
とても対抗できなかった。基盤とする地がなかったのである。
そこでまず董卓が帝を擁していることを真似て劉虞を帝に即けようとしたが本人が固辞したため実現しなか
った。 そんな折、袁紹と袁術が小競り合いをした際に、公孫サンの弟が袁紹配下の矢に当たって死んだため彼は激 怒し、前年191年に盤河に出陣し、一度袁紹を破っている。 そこで袁紹は和睦を考えるが怒りの収まらない公孫サンは執拗に攻撃を繰り返してくる。
こうして192年、両者は界橋でついに戦火を交えてのである。 公孫サンは本陣を完全に崩され逃げ延びようとするが、途中で袁紹配下の猛将文醜に追いつかれ殺されかか った。そこへ「白馬将軍」の威名に引かれてやってきた趙雲が現れ、文醜と一騎打ちをして引き分け たために難を逃れることができた。 |