襄陽の戦い

 董卓討伐軍に参加し洛陽に入場した後、孫堅は魯陽に戻っていた。
 そこへ親分に当たる袁術から荊州へ軍を進めることを命令される。

 孫堅の軍は強く、荊州の牧劉表配下の黄祖の軍を散々に破って州都襄陽を取り囲んだ。
 劉表は成す術もなく恐怖していたが、参謀のカイ良が伏兵を張るよう進言、猛進を好む孫堅は無数の矢と石を 浴びてあえなく戦死した。

 孫堅の息子孫策は父の遺体と捕虜の交換を申し入れ、劉表も承諾する。孫堅の遺体は曲阿に葬られた。

 この戦いが元で、以後、孫策・孫権は父の仇を討つべく、荊州へ遠征を繰り返すことになる。

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