反董卓連合

 宦官と外戚の二大勢力が朝廷で同時消滅した時、大将軍何進の檄によって都洛陽に入ってきたのが董卓であった。
 彼は上洛の途中で偶然保護した少帝を廃し、自分が押す献帝を立てた。これによって皇帝の後見人としての地位を固め、 それ以降暴虐と贅沢の限りと尽くすことになる。

 董卓は有力な名士に役職を与えるなど人気取りにも努めたが、そのあまりの横暴ぶりに曹操の檄文によって袁紹を盟主として反董卓連合が結成される。 この挙兵には、袁術、韓馥、孔チュウ他多くの太守、刺史クラスの武将が参加した。
 董卓は華雄、呂布といった当代きっての猛将を当たらせる。当初華雄の武勇もあり善戦した董卓軍であったが、公孫サン配下であった劉備の義弟、関羽に 斬られた上、洛陽は防衛には地理的に向かないことから長安への遷都を決行。その際洛陽の金品を強奪して火を放った。

 董卓は献帝を連れて長安へ逃亡したため、もし漢王室復興が反董卓連合の総意であったならばこの機に乗じて追撃すべきところだが、 自軍の被害を最小限に留めたい連合軍の各豪族は当初の目的を達したとして解散してしまった。既に群雄割拠の時代を誰もが予想していたのである。
 曹操だけが董卓を追撃するが、徐栄に手痛い敗北を喫している。

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