劉表伝

注意: このページに書かれている内容は基本的にフィクションです。

背景
 劉表に恨みを持つ孫堅は袁術の誘いにのって劉表の本拠地、荊州へ攻め上ってきた。
 襄陽城は孫堅の兵によって完全に包囲され劉表の命運も尽きたかに見えたその時、呂公から思いがけない知らせが届いた。

強兵と弱兵
 孫堅が死んだ。たとえ優柔不断な劉表でさえ、この機を逃す気はなかった。
 自ら襄陽上の城壁に立ち、城を囲む無数の江東の兵に向かって叫んだ。

「玉璽を奪いし奸雄、孫堅の首討ち取ったり!」

 彼の声に軍勢は俄かに波立った。

「時は満ちた! 今こそ、蛮族を討ち破るのだ!」

 劉表の声と同時に城門が開くと、荊州兵は戦意を失った孫堅軍に襲い掛かった。戦さとは恐ろしいものだ。 恐怖に打ち震えていた弱兵は息を吹き返し、獣のような強兵はかかしのように棒立ちになっている。
 インクがテーブルの上を広がるように、瞬く間に荊州の兵によって一面埋め尽くされ、江東の兵は討ち取られ その旗はへし折られていった。

 良、蔡瑁、黄祖、呂公など主だった大将は、 今までの鬱憤を晴らすかのように猛然と敵兵を追撃した。まさに猪を狩る狩人のようである。

 微笑む劉表の隣に、越が立った。流石に 城を出払ってしまうわけにはいかず、彼は城内に残っていたのだ。
 劉表は満足げに彼に言った。

「このたびの戦さ、一時はどうなるかと思ったが、どうやら我々の勝利のようだな」

「はい・・・・・・。しかし、呂公、黄祖軍の動きが心配です」

 越の視線を追うと、遠く彼方まで追撃している 黄祖の一軍が見えた。奮戦しているようだ。
 一方の良はその遥か手前で、雑兵たちに矢を射 掛けている。
 劉表は越に尋ねた。

「なぜだ?」

「たとえ大将を討ち取られたとはいえ、気骨の士が多い江東の諸将のことです。あのような戦い方をしていては、虜にされるのが 落ちでございましょう」

 俄かに劉表の顔に怒りが込み上げてきた。

「なんと不吉なことを! 越! たとえ側近のお前 といえども、聞き捨てならんぞ!」

 越は膝をついて劉表を見上げた。

「恐れながら我が兄良は申しておりました。逃げる 兵のみに矢を放ち、決して向かってくる兵士と争ってはいけないと」

「それではただの臆病者ではないか!!」

「いえ、違います。大将の首を奪われ、軍勢が総崩れになっているにもかかわらずなお向かってくる兵士は、生き延びることを考え ておりません。いわば死を覚悟しているのです。ましてもとより蛮族の兵は強者が多く、まともに戦っては多大な犠牲を払うで しょう。
 一方、逃げる兵士はせっかく頑強な武器を持っていながら背を向け、大きな体は標的として格好の獲物に成り下がっております。
 これを討つは容易いこと。つまり最小限の犠牲で多くの敵を討ち取ることができるのです」

「・・・・・・うむ」

 劉表は返す言葉がなかった。確かに兵法でも、死地にいる兵士と戦ってはいけないと言われている。また敗軍だからといって むやみやたらに攻め立てれば、追い込まれた彼らから思いもしない反撃を受けることもある。
 そのため、名将は敵の一番脆い軍を突いてこれを討ち破りまず大勢を決し、逃走する敵軍を追うときは必ず逃げ道を作るのだ。

 劉表は越に向き直った。

「では、お前はこの戦い、どうなると予測するか」

「呂公は人望高き総大将を討ち取った張本人です。彼を仇と思う将軍は多いはず。むやみに追撃すれば、弔い合戦を望む猛将に 討ち取られてしまうでしょう。
 また、かつて敗れた腹いせをするために深入りする黄祖や蔡瑁は、気骨の将軍と死を覚悟した兵士によって捕われるでしょう。
 孫堅軍には勇猛果敢な将軍が多いとのこと。敵兵の強弱を見ずにただ勝ちに乗じているだけでは、いずれどこかで出してはいけない 相手に手を出し、破れるは必定」

「兄に似て厳しいことを言うな、越よ」

 劉表は苦笑した。しかし見渡すかぎりの戦勝ムードに包まれて、本心ではまさか彼の言葉が現実のものとなろうとは 夢にも思っていなかった。

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