諸葛瑾伝(読み切り)

注意
このページに書かれている内容は基本的にフィクションです。

父の憂い
「この命に代えましても……」
 決死の覚悟で孫権に上奏したのは諸葛瑾であった。二人の英雄はじっと目を合わせ何も語ろうとしない。
 並み居る群臣は唾を飲み込む音さえ聞えるほど、皆静まり返っていた。
 蒼い目は驢(ろば)のような容姿を持った男にこくりと頷くと、一同を見渡し、そして静かに口を開いた。
「瑾…、確かに適任かも知れん……。この呉を救うことができるのは……」
 すでに蜀の大軍によって前線の城邑は幾つもおとされていた。総大将は蜀漢の皇帝、劉備。戦下手という噂に似つかぬ 勢いは義弟の魂が乗り移ったためだと朝廷内で噂されるほどであった。義弟の関羽が呉将に斬られ、さらに張飛を暗殺 した者が呉に逃れたため、鬼神が劉備に宿ったというのだ。
 蜀軍の兵士にもその思いが乗り移ったかのように、皆死ぬことすら恐れぬ形相で勇猛果敢に挑んでくる。強者揃いの呉軍 もさすがに連戦連敗し、もはやその命運は風前の灯火であった。
「瑾よ、これよりすぐに劉備の元に走り、呉侵攻を中止するよう交渉に当たれ。そのためならば、荊州の割譲も止むを得ん…」
 喉の詰まるような声だった。  諸葛瑾は苦々しい表情の主君に一礼すると、足早にその場を後にした。

 日も暮れかかったころ、諸葛瑾の屋敷に来客があった。長子諸葛恪である。彼は幼少より利発で、宮中はおろか孫権すら 一目おく存在であった。
「私には父上のお考えが判りませぬ」
 開口一番、諸葛恪はいつになく強い口調で父に言った。
「私が劉備殿に会いに行くことがか?」
「はい。なぜに父上はそのような役目を自分から買って出られたのですか!?」
 諸葛恪は息を荒げた。しかし瑾は普段と変わらず、柔らかい面持ちで淡々と出発の支度をしていた。
 堪りかねて恪が父に詰め寄った。
「父上ならば当然知っておられましょう。かつての戦国時代に生きた魏臣ホウ葱と恵王との話を…!」
 なお無言でいる瑾に恪は続けた。
「魏が恵王の時代、太子を趙に人質として送ったことがありました。その時、太子に付き添うことになったホウ葱は、魏を 去る際、こう魏王に申されました。
『もし、町中に虎が出たとある者が言ったら、王様はどう思われますか?』
 魏の恵王はそんなことは信じないと笑い飛ばしました。
 そこでホウ葱は続けてこう言いました。
『ではもう一人、町に虎が出たと申すものが現われたらどうでしょうか?』
 すると恵王は眉をしかめながらも、やはり信じないだろうと申されました。
 そこでホウ葱はさらにこう言いました。
『それでは更にもう一人、町に虎が出たと騒ぐ者がいたらどうでしょう?』
 さすがの恵王もそれにはこう答えるしかありませんでした。
『三人もの人間が言ったならば、きっと本当に虎が出たに違いない…』
 するとホウ葱は恵王にこう言いました。
『つまり、町に虎が出るはずないことは明らかであるにも関わらず、三人の者が同じことを言うとそれが真実のように 思えてしまうのです。
 ところで魏の都を去ることは町よりも遥かに遠く、また私をとやかく批判する人間は三人どころではありません。何卒 そのあたりをお察しください』
 ホウ葱はここまで念を押して魏を後にしましたが、留守中、恵王の取巻きがホウ葱をここぞとばかりに中傷したので、 帰国後、ついに恵王に面会を許されませんでした。
 これほど讒言は人の立場を危うくするのです。

 また、こんな話もあります。孔子の高弟曹参が人を殺したとその母に教える者がおりました。一人、二人と教える者があった 時は母は相手にしませんでしたが、三人に同じことを言われるに及んでついに我が子を信じられず、慌てて家を飛び出したと 言います。
 孔子の高弟ほどの方で、しかも母子の関係であってもこの有様です。
 ましてや陛下と父上は親子ほどの関係ではありません。それなのに宮を留守にして、どうして信頼を守りきることができましょうか?」
 恪はここで大きく息を飲み込んだ。このとき彼は諸葛瑾の目の前に立ったため、やむをえず瑾は手を止めると息子と正対した。
「今、父上は呉の要職に付いていますが、父上より古参の幕僚も多く、彼らは我々新参者をよく思ってはおりません。
 にも関わらず、父上は弟が仕える劉備の元へ使者に立とうとしています。しかも蜀軍優勢、呉軍劣勢であるこの時期にです。
 恐らく、陛下の取り巻き達が父上の謀反をでっち上げて失脚させようとするに違いありません。
 例えば、父上は蜀に亡命するつもりで使者の役を買って出た、と言った具合です。
 こうなってしまっては主君も臣下も疑心暗鬼に陥ってしまいますから、父上は帰るに帰れず本当に蜀に仕えることに なるでしょう」
 諸葛恪は得意げに胸を張った。そして父諸葛瑾をやや笑うかのように、さらにこう付け足した。
「なぜこのような事が予測できないのですか!?」

 彼は息子を哀れみに満ちた目で見るとこう呟いた。
「つまり私が今外へ出て行けば、幕僚達が陛下に私を中傷する内容を言いふらし、そしてホウ葱のように二度と主君と面会する ことすら適わぬようになると申すのか?」
 恪は自信ありげに首を縦に振った。
 その姿は、諸葛瑾を心底感息させずにはいられなかった。
 確かにホウ葱や曹参の事例は尤もであるが、これはいずれも君主ないし母が不明である場合だ。我が主孫権は曹操、劉備 にも引けを取らぬ傑物であり、さらに臣下を信頼すること半端な気持ちではない。それがこの子には判らぬというのか……。

 諸葛瑾は天を仰ぎ見た。ああ、なんということだ…。我が家はこの子の代で滅びるというのか……。

 これよりおよそ二十年後、諸葛瑾の懸念は、主君孫亮と共謀した孫峻によって諸葛恪及び一族皆殺しに遭うという形で現実 のものとなる。


【補足】
 ホウ葱と恵王、また曹参と母の逸話は、人が讒言に容易く惑わされてしまう例として特に有名である。
 特に曹参と母の逸話は「曹参、人を殺す」という成語がある。彼ほどの人徳を持ち、また誰よりも強い信頼関係にある 母でさえも、三人の人に同じ事を言われると、たとえ起こる筈のないことでも信じてしまうという。
 これは人の心の弱さを如実に表していると言っていい。
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