中島みゆきの歌は本当に暗いか!?
「道に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか〜」
「あなた誰と賭けをしたの 私の心はいくらだったの〜」
「うらみます うらみます あんたのこと 死ぬまで〜」
「泥は降りしきる 泥は降りしきる〜」
「ごらんよ あれがつまり遊び女って奴さ 声をかけてみなよ〜」

「中島みゆき」=「わかれうた」=「暗い」

これが、世間の常識。

「中島みゆき」=「わかれうた」=「恋し」

これが僕の常識。

なんでか知らないけど、「みゆきさん」の歌を聴くと、僕は恋がしたくなってしまうのよ。 決して、理想的な、うまく行っている歌ではないのにね。
その理由がつい最近、やっと分かったような気がしました。僕の心を「ジン」とさせてしまうもの、それは「みゆき節」に流れる "誰かを本気で愛する気持ち"なのではないだろうか、と。

別れても、捨てられても、「それでも愛は愛」と歌いきってしまうところが、彼女の魅力じゃないかと思う。 何度諦めかけても立ち上がり、何度失敗してもめげたままでは終わらない、喩えるならば「かめ はめ波もどき」を何十発受けようとも立ち上がる、ドラコンボールの孫悟空のようである。しぶとい。実にしぶとい!(笑)

でもそれが、聞き手、少なくとも「みゆき信者」には、勇気の糧になるんだよね。あれくらい暗い歌を歌われると、殆どの境遇は 「」でもなくなるから。
それにね、実はここがとっても重要なのだけど、あそこまで落ち込める「失恋」って、この頃ないんじゃないかと思う。 平均交際期間の単位が「年」から「月」「週」になってから久しい現在において、本気で誰かを愛することも、本気で失恋に 悩むことも、以前より減ってしまった気がする。 その証拠になるかどうかは分からないけれど、昨今の失恋の曲(特に若い人が歌う曲)って、ライトなものが多いじゃない?
でも、少なくとも僕はそれらの曲に感情移入できないし、あんまり"さらり"と歌われてしまうと、うそっぽくさえ聞こえてしまう。 「現実はそんなものじゃないっ!!」てな感じです、はい。

そこへいくと、「みゆきさん」の歌は凄い。普通、思いついても自分が惨めになるから言わないような言葉をバンバン使う (自虐的?)。でも、そこには「彼」に対する底はかなる「愛情」と「その裏返し」が込められている。だから、妙に頷いています。

つまり、
「とんでもなく暗い歌」=「とんでもなく誰かを愛した歌」
に聞こえるわけです。

だから僕は、「みゆきさん」の歌を聴くと、恋がしたくなる。あそこまで落ち込めるほど「めちゃくちゃ誰かを愛した」みゆき さんの歌を聴くと、自分もめちゃくちゃ誰かを、心底愛したくなってしまうのよね。
もちろん、「小説がドキュメントではない」ように、「詞は日記ではない」。彼女の歌が全て 実話であるはずがない。特に、毎年恒例の「夜会」という独り舞台のために書いた歌は、そのストーリーに沿ったものに なっているから。
「中島みゆき」って凄い過去があるんだぁ・・・などと、くれぐれも誤解しないように。

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