ぼく、ときどきおもうの

 かふんーのきせつぅーはおそとをあるくのがとてーもとてーもつらい崔州平でございます!  皆さん、こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。風邪などは ひかれていないでしょうか。 あ、あたい? ふっふっふっ。あたいはそりゃもう、 万年熱病だわさ。マラリラよりもタチが悪い「愛」というねつびょー(きゃー言っちゃった!)。
 桜の下での花見は花粉症であるため不可能ではありますが、でも桜よりもっともっともっと美しい お花を毎日部屋に飾ってあるからいいもん! そう、その花とはカレンダーに印刷された みゆき姫! はっきり言って、あの笑顔が堪らんのです(爆)。

そんじゃまいりますよ。さいしゅーへいのおでんわだい、はーいしゃくー!!

 さて、本日も「ウィンター・ガーデン」をお送りします。題して、「ぼく、ときどきおもうの」。 少なくともこれまで誰も書いていない(?)ちょっとした夜会の新解釈を書いてしまおうか、などと 思いまして。そんなの前から気づいてたーって方がいたらごめんなさいね。

 みゆきさんの場合、歌にしろ夜会にしろ、みゆきさん本人とダブってしまうことがしばしばあります。それは本人のねらいなのか、 それとも自然とそう見えてしまうのか分かりませんが。そんでもってウィンター・ガーデンで僕が気になったのは(同時にやや 違和感を感じたのは)「帳簿」の存在でした。
 帳簿…。経理が毎日の取引を記入するもの。初め、なんで帳簿なんて持ち歩いているんだろう、と思いました。だって それって本来持ち出しちゃいけないものでしょ? それを後生大事にもっていて、時々楽しそうにすら読んでいる。 なぜ? なぜ? なぜ?
 でもその疑問が少しだけ晴れたのが「いつも帳簿をつけていたから、何もかも書き込む癖がついていた」みたいな台詞や 「ここにはみんな書いてある。そしてこれをどこへ持っていけばいいか、私は知っている!」と叫ぶみゆき姫を見たときでした。
 ウィンター・ガーデンの中の帳簿は、もしかしたらリアルなみゆきさんにとっての「歌」そのものなのかな、と。

 みゆきさんの歌って、時々「もう私を思い出さないでいいわ」といいつつ、「でもあなたのために歌っているのよ」といってみたり、 はたまた「たまには思い出してね」といってみたりするじゃない。そして時には「男イジメ」と自ら言うような「毒」のある 言葉も…。もしかしたらみゆきさんの歌には、そのままではないとしても「すべてが書かれているのかも知れない」。 そしていつも身近な出来事を歌詞を書いているうちに、いつのまにかそれが身についてしまった…。
 するってえと、みゆきさん自身が言う「男いじめ」の詞は、ウィンター・ガーデンで言う「爪」なのか?

 といろいろ波紋を残したまま本日の更新は終わるのであった…。
 世は今、ウタダとアユがCD売上にしのぎを削っていますが、い〜や゜、歌姫はみゆき姫だい!って思っている崔州平がお送りしました。
 それを、5年、10年後、人々の鼻歌が証明してくれることでしょう!

戻る