本日の御題:ヒトゲノム
◆国際ヒトゲノム解読計画
 まず初めに「ヒトゲノム」という聞きなれない言葉の説明から始めよう。
 ゲノムとは「遺伝子」という意味の「geno」と「集団」という意味の「ome」から成る言葉で、一般には「遺伝子の集合体」 「生命の設計図」などと定義されている。つまりヒトゲノムという物質があるわけではない。
 実際の遺伝子情報はDNAに保存されている。こちらは有名なためご存知の方も多いと思うが、DNAは二本の鎖でできて おり、それぞれの鎖には僅か4種類の塩基「アデニン」「チミン」「グラニン」「シトシン」が並んでいる。
 人は二十三本の染色体をもっておが、これらの上に乗っている塩基の並び方をすべて解読することにより(約30億個と推定 されている)、初めて人間の最も基本的な遺伝子情報を手にいれることができるのだ。

 さて、この膨大な解読作業を各国がバラバラにやっていたのでは能率が悪い。遺伝子情報は人類共通の財産であり、協力して 解読を分担しようという動きが、1980代に起こった。そこで1990年に「国際ヒトゲノム解読計画」がスタート。人の全遺伝子情報 (ゲノム)解明を目指し日米英の研究チームが分担して解読をしてきた結果、今年の12月1日、 人間の染色体で2番目に小さい22番染色体の遺伝子を(現在の技術では解読できない3%を除き)全て解読したと発表した。
 これは人の全遺伝子情報の約1/60に当たるという。

◆ヒトゲノムの可能性
 これほど人の遺伝子情報を人が欲しがる理由は何であろうか? 最も宣伝されている理由の一つは、 病原菌に感染しやすい遺伝子を取り除くことなどによる遺伝子治療に役立てるためであろう。
 また、画期的な新薬の開発にも大きな期待が寄せられている。

 確かに人の設計図を手に入れたならば、薬の投与方法も劇的な変化が起こる。
 現在は、患者が患っている病気に対して、薬が施される。つまり患者個人の体質はアレルギーなどの要因を除き無視され、 「この病気にはこの薬」という画一的な選択がされるわけだ。

 しかしもし患者の遺伝子情報を調べることができれば、患者に合わせた薬を処方することが可能になる。
 つまり副作用を抑え、病気の原因になっている菌、ウィルスだけを攻撃する薬を作ることができるというのだ。
 まさにオーダーメイドである。

 また、遺伝子情報を知ることによって、これまで漠然としか分からなかったその人がかかりやすい病気なども正確に知ること ができる。つまり親の死に方をみて自分が酒に強いのか、タバコを吸っても癌になりにくいのか知るのではなく、遺伝子によって それを知ることができるのだ。
 さらに、たとえば癌を誘発する情報を保持する遺伝子を見つけそれを除去することによって、将来の発病を前もって予防する こともできる。

 これらのことを考えると、遺伝子を知るという「己を知る」行為は非常に有意義であることが分かる。

◆ヒトゲノムの危険性
 しかし、大きな利点をもった技術は大きな欠点があることも我々は自覚しなければならない。
 それは産業革命が自然を破壊し、X線の発明が原子爆弾を生み出した過去の歴史を紐解けば明らかであろう。

 まず、ヒトゲノム計画の最大の欠陥は、「遺伝子情報は人類共通の財産」と一方で 謳っておきながら、欧米では特許取得の動きが活発化していることだ。
 欧米は当初からこの分野で常に先行していたが、その理由は「発見した遺伝子を特許化することで将来膨大な利益を 得よう」という民間企業の思惑があったからである。
 逆に日本ではそういった発想がなかったため(特に特許の重要性の認識は欧米に比べてきわめて低い)、出遅れてしまったのだ。
 この構図は遺伝子組み換え作物の分野でも同様である。
 もし遺伝子に特許が認められれば、たとえばその遺伝情報を利用した治療や新薬の開発・販売には特許料を課せられることに なる。もともと遺伝子の数には限界があるから、先に押さえられてしまうと後発組は全く手が出せなくなる。
 これは半永久的に先進国と発展途上国の立場を固定するものであり、貧富の差も決して縮まることはないだろう。
 また、これは軍事兵器に応用される危険性を孕んでいる。というよりも、実際に兵器開発に応用されるだろう。
 火を人間が手にしたときから、新たな発明は必ず軍事的に応用されてきた。これは世界中不変の真実であり、今回の技術も また人の性から逃れることはできないだろう。
 劇的な新薬開発とは、裏を返せば劇的な化学兵器を作り出すことができると言うことである。

 また、倫理的な問題も控えている。
 例えば遺伝的性質を持ったある重い病気にかかっている人がいる。一度発病してしまったその病気は遺伝子治療をもってしても 直せない。
 しかしその病気は遺伝子治療によって予防することができる。
 そこで胎児の段階で遺伝子情報を調べ、もしその病気の遺伝子をもっている子供を見つければ速やかに取り除く。

 これは多くの親、健常者にとっては非常に有意義な技術である。しかし、その病気を現在保有している人にとってはどうだろう?  「自分のような人間は生まれてきてほしくない」と社会から烙印を押された気持ちにはならないだろうか?
 私を含む健常者にはその気持ちが実感できないことが多い。しかし、実際に遺伝的要因の病気にかかっている人の多くは、 そう感じ、傷つくと言われている。その人にとっては、自分の人生こそ、人生の全てである。頭では遺伝子治療の意義を認めつつ も、我が身を考えれば悲しい気持ちになっても不思議ではない。

 もう一つ、代表的な例をあげると、「遺伝子の選択」による差別が行われるという危険性である。すでにアメリカでは「精子バンク」 なるものが存在し、頭脳明晰の遺伝子を受け継いでいる(可能性のある)精子に群がる女性が存在している。
 精子バンクに精子を提供する男性の収入は高学歴であるほど高く、また高学歴の男性の精子ほど高値で女性に売られる。
 これは生命の売買であり倫理的に問題があるとされながら、アメリカではすでに実用化されているのだ。
 遺伝子情報が完全に解明されれば、この傾向はさらに拍車がかかるだろう。つまり人を遺伝子によって評価・差別する社会 がその先には待ち受けているのだ。

 開発を進めている企業や、企業を後押しすることで国力を維持しようとする国は常にメリットの点ばかりを宣伝する。
 もちろん、メリットはメリットとして正確に認識する必要があるが、同時に公表されにくいデメリットについては我々は 目を凝らし耳を傾けるべきである。

 是非とも遺伝子情報解読による夢と現実、利点と欠点を皆さんにも考えていただきたい。

戻る